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 一ノ関忠人さんが3月13日付『日々のクオリア』で佐藤祐禎の次の歌を取り上げていた。
 

原発が安全ならば都会地になぜ作らぬとわれら言ひたき

  『青白き光』(2004年)



 先日の記事で佐藤祐禎を讃える佐藤通雅さんの文章を批判した以上、一ノ関さんの文章にも触れないわけにいかない。気が重いことだ。

 今回もまた掲出歌をよい歌とは思えないので、困ってしまう。一ノ関さんは次のように書いている。
 

 これは都市部に住む私たちへの痛烈な批判であろう。原発が再稼働されそうになるこの現実において、ますます問われるべき主張だ。再稼働は事故に結びつかないのか。原発を今すぐゼロにという主張を、どこかで現実感がないもののように思うのだが、実際に事故を起こした場所に住むことを思えば、原発は危険きわまりないものとしか考えられない。



 これを読んでも、私の感じ方は変わらない。そもそも、仮にこの歌によさがあるとして、一ノ関さんはそれを説明していないのではないか。「原発が再稼働されそうになるこの現実において、ますます問われるべき主張だ」というのだが、歌によってその「主張」がよりよく表現されているかどうかは明らかでない。

 それにしても、私はなぜこの歌をよいと思えないのだろう?
 

金にては幸福は齎(もたら)されぬといふならばその金をここに差し出し給へ

  安立スハル『この梅生ずべし』(1964年)



 「AならばBせよ」、という形が前の一首と共通する歌である。しかし、私はこちらの歌はよい歌だと感じる。どこが違うのだろう?

 一つはおそらく、「Aならば」の部分の修辞である。「原発が安全ならば」には、五七調であるという以外にほとんど修辞が感じられない。一方の「金にては幸福は齎されぬといふならば」は、造りがずっと凝っている。第二句を大幅な字余り(12音!)にしていること、それにもかかわらず直後の第三句を定型どおりの5音におさめることで定型律の感じは失っていないこと、主語を文頭に置いていないこと、日常で頻繁には使用しない漢字「齎」を使用していること。これが例えば、

  幸福は金では買えぬといふならば

などであったとしたら、よほどつまらなく感じられたにちがいない。そして、もう一つは、佐藤の作より安立の作のほうが一筋縄でいかない内容になっていることである。

 佐藤の一首では、原発のある「地方」と電気を消費する「中央」との区分けが明確であり、作中主体が「地方」の人であることも疑う余地がない。対して、安立の一首では、二つの対立項と作中主体の位置関係はもっと複雑だ。

  金銭では幸福を得られない

という考え方と、

  金銭で幸福を得られる

という考え方は一人の人間のなかで共存し得る。どちらかの考えしか持たない人はむしろ極端な原理主義者であって、庶民の本音はたいてい「お金で幸せを買えるわけじゃないけど、お金がぜんぜんなくても困るよね」といったものなのだ。

 ただし、これはあくまで本音であり、建て前は断然「金銭では幸福を得られない」。いや、建て前というよりも、道徳というべきか。

 安立の一首の主題は、「金銭では幸福を得られない」などと偉そうに言う者の偽善を撃つことにある。しかし、作者が平凡な庶民だとしたらどうだろう。作者は「その金をここに差し出し給へ」と歌うことによってみずからの倫理をも撃ち、みずから傷つかなければならないのである。

 佐藤の歌において、原発を「都会地になぜ作らぬ」という言葉は作者自身を少しも傷つけない。安立の一首に比べ、こちらははるかに単純な内容にとどまっている。作者はその前にすでに原発への恐れから傷ついているではないか、といった見方はこの際無効である。あらかじめ傷ついているという点では、安立の歌も同様であるからだ。お金に困った経験が一度もない人は、あのような歌を思いつかない。そして、あの歌は傷ついた自己をさらに傷つけるものだ。そのことに、私は粛然とした気持ちになる。

 佐藤の一首は、社会詠だろう。私は単純素朴な抒情歌を愛するが、単純素朴な社会詠は耐えられない。私たちの感情が単純であるのに対し、私たちの社会は単純ではないからだ。


(2014.3.30 記)

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