最新の頁   »   短歌一般  »  「那智の滝みゆ」の歌をめぐって
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 敬愛する一ノ関忠人さんが砂子屋書房のサイト上で一首鑑賞を連載中。私はなんと昨日初めてそのことを知り、1月の第1回から全部読んだ。1月18日の回の一首は佐藤佐太郎の有名な作。
 

冬山の青岸渡寺(せいがんとじ)の庭にいでて風にかたむく那智の滝みゆ

  佐藤佐太郎『形影』(1970年)



 この歌を取り上げる以上、「庭にいでて……滝みゆ」の変わった言い回しを素通りするわけにはいかない。一ノ関さんは次のように記している。
 

 「見ゆ」は、本来自ずから目に入る状態をさす。しかし、ここでは作中の主体が「庭にいでて」と動作を示し結句へつながる。ふつうなら「みる」となるのが妥当だろう。それを佐太郎は「みゆ」とした。このねじれが一首を魅力的にしていると私は思うが、変則であることは確かだ。



 「このねじれが一首を魅力的にしている」との意見に私も賛成。「みる」にすれば語法上はすっきりするが、主体の見る意識が前に出すぎる。かといって、第三句を「……ば」の条件節(「庭に立てば」など)にすると、まるで古代の国見歌のようで、大仰だ。いずれにしても、一首の味わいは台無しになる。

  ……庭にいでて——。
       風にかたむく……

といったふうに三句で一旦切って読んではどうだろうか。


     §


 万葉集に、
 

月まちて家にはゆかむ我が挿せるあから橘影にみえつつ

  粟田女王(巻18、4060番歌)



という歌があって、この「みえつつ」は「見せながら」というように解する。佐太郎の「みゆ」も同様に解することができないか、ちょっと考えてみたが、やはり無理なようだ。

 粟田女王の歌は、これ一首だけが今に伝わる。素朴な詠みぶりながら、髪に挿した赤い実の月光に映える印象が鮮やかで、心に残る。


(2014.3.17 記)

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