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 10日付の朝日新聞に佐藤通雅さんが「佐藤祐禎という歌人」と題する文章を寄せている。
 

 原発問題ですら、解決済みであるかのごとく、世の中は動こうとしている。



と述べた後、佐藤祐禎の歌二首、
 

  眠れざる一夜は明けて聞くものか思はざりし原発の放射能漏れ

  死の町とはかかるをいふか生き物の気配すらなく草の起き伏し



を引き、
 

 その佐藤祐禎の存在すら忘却されようとしている。(略)
 いま、もっとも残しておきたい歌人、それは佐藤祐禎だ。



と記すのだ。

 これを読んで、ちょっと困った。なぜかと言うと、第一に、通雅さんは世間が祐禎を「忘却」しつつあるとし、そのような世間に批判的な姿勢を示すのだが、そもそも私は忘却も何も、この文章を読むまで佐藤祐禎なる歌人の存在自体を知らなかった。朝日新聞の購読者の大半がそうではないか。

 第二に、通雅さんは祐禎について「いま、もっとも残しておきたい歌人」とまで言うのだが、その理由は言わない。言わなくとも分かるということか。

 第三に、しかし、私は引用歌にそれほど感銘を受けなかった。一番の理由は、それが予定調和のように思われることだ。作者は震災以前から「原発批判の歌を作ってきた」由だ。その作者が「思はざりし」というのは、出来合いのストーリーに歌を合わせたのではないか。また、事実として、避難区域から避難したのは人間とごく一部の愛玩動物だけだ。作者は元々「死の町」の観念を持っていて、いまその観念を眼前の光景に投影しているのではないか。

 第四に、しかし、そのように書けば、おそらく私の方が冷たい目で見られる。人は被災者である作者、被災者である論者の味方だ。当然だろう。私のなかにはそれを怖れる気持ちがある。

 生活者としての佐藤祐禎を批判することは、もちろんできない。では、表現者としての佐藤祐禎を批判することは?


(2014.3.13 記)

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