8月11日発行の本。歌人にしてドイツ文学者の高安国世の評伝である。昨日から読みはじめて、ちょうど3分の2くらいまで進んだ。私は高安国世について知識がないので、本書の本当の価値はわからないのだが、そのような者の好奇心をも非常に刺激してくれる本だと、読みながら感じている。
どうしてそう感じるのだろう?
一つにはたぶん、話題が歌壇の狭い領域にとどまらないからだ。高安が育った芦屋周辺の「阪神間モダニズム」の雰囲気(18頁〜)、それと高安の人格形成との関わりなど、私のような高安国世の初心者にも読みやすく、興味深い。
もう一つには、複数の資料を並べ、繋げて提示してくれるから、ということもあるだろうか。例えば、「外国留学」の章(47頁〜)。
旧制高校以来の友人に宛てた1937(昭和12)年10月22日付書簡の
といった言葉から話を起こし、短歌作品、後年の歌集後記、別の書簡などを引用した上で、持病の喘息と戦時の混乱のせいで留学希望がかなわなかったことからくるコンプレックス、ひいては大学内で望んだポストに付けなかったことまで指摘している。しかも、一方で高安は戦時中、その持病のために召集を免れたというのだ。資料と資料が繋げられて、その間から人や時代が立ち上がってくる感がある。一つの資料を別の資料が裏付ければ、筆者に対する信頼感も増す。
当然の手順のようだが、周到な準備がなければできないことだ。
そしてまた、文章が落ち着いている。筆者本人ばかりが熱くなって読む者を白けさせるようなところは全然ない。
勇気をふるって、「『Vorfrühling』と検閲」の章(184頁〜)に異論一つ。
1946年にすでに企画されていた第1歌集『Vorfrühling』の刊行が51年まで遅れた理由について、筆者は「敗戦直後の社会の混乱や紙不足などの出版状況」のほかに、GHQの検閲で一部削除を命ぜられたことを挙げている。
最初のゲラが検閲に通らなかったこと自体は、たしかに重要な話題だと思う。しかし、一部削除への対応にそれほど長い時間はかからないのでは? 本書によれば、高安本人の意識も「本にならぬうちに削除した方がいゝ」という程度のものだった。私に何の確証があるわけでもないが、5年の遅れというのは、やはり版元の問題だったように思える。
ともあれ、本書の残り3分の1はまだこれから読むのだ。読み終わるのが惜しい気がする。
(2013.10.6 記)
どうしてそう感じるのだろう?
一つにはたぶん、話題が歌壇の狭い領域にとどまらないからだ。高安が育った芦屋周辺の「阪神間モダニズム」の雰囲気(18頁〜)、それと高安の人格形成との関わりなど、私のような高安国世の初心者にも読みやすく、興味深い。
もう一つには、複数の資料を並べ、繋げて提示してくれるから、ということもあるだろうか。例えば、「外国留学」の章(47頁〜)。
旧制高校以来の友人に宛てた1937(昭和12)年10月22日付書簡の
谷という友人は独乙へ行った。/僕は相変わらず喘息の軽い発作が起るので身体に自身がない。
といった言葉から話を起こし、短歌作品、後年の歌集後記、別の書簡などを引用した上で、持病の喘息と戦時の混乱のせいで留学希望がかなわなかったことからくるコンプレックス、ひいては大学内で望んだポストに付けなかったことまで指摘している。しかも、一方で高安は戦時中、その持病のために召集を免れたというのだ。資料と資料が繋げられて、その間から人や時代が立ち上がってくる感がある。一つの資料を別の資料が裏付ければ、筆者に対する信頼感も増す。
当然の手順のようだが、周到な準備がなければできないことだ。
そしてまた、文章が落ち着いている。筆者本人ばかりが熱くなって読む者を白けさせるようなところは全然ない。
勇気をふるって、「『Vorfrühling』と検閲」の章(184頁〜)に異論一つ。
1946年にすでに企画されていた第1歌集『Vorfrühling』の刊行が51年まで遅れた理由について、筆者は「敗戦直後の社会の混乱や紙不足などの出版状況」のほかに、GHQの検閲で一部削除を命ぜられたことを挙げている。
最初のゲラが検閲に通らなかったこと自体は、たしかに重要な話題だと思う。しかし、一部削除への対応にそれほど長い時間はかからないのでは? 本書によれば、高安本人の意識も「本にならぬうちに削除した方がいゝ」という程度のものだった。私に何の確証があるわけでもないが、5年の遅れというのは、やはり版元の問題だったように思える。
ともあれ、本書の残り3分の1はまだこれから読むのだ。読み終わるのが惜しい気がする。
(2013.10.6 記)
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コメント
3
中西さま
このたびは拙著を取り上げていただき、ありがとうございます。異論・反論など大歓迎です。様々な議論を通じて、高安国世の姿が浮かび上がってくると良いなと思っています。
GHQの検閲についてはまだまだ知らないことが多く、最近も山本武利『GHQの検閲・諜報・宣伝工作』という本を買ったりしています。政治的な立ち位置にも関わってきてしまう話なので、なかなか難しいですね。
このたびは拙著を取り上げていただき、ありがとうございます。異論・反論など大歓迎です。様々な議論を通じて、高安国世の姿が浮かび上がってくると良いなと思っています。
GHQの検閲についてはまだまだ知らないことが多く、最近も山本武利『GHQの検閲・諜報・宣伝工作』という本を買ったりしています。政治的な立ち位置にも関わってきてしまう話なので、なかなか難しいですね。
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コメントありがとうごさいます。『高安国世の手紙』、読み終わりました! 途中付箋を貼ったところなど、もう1度読み直しています。プランゲ文庫に『Vorfrühling』の校正刷りが入っていないのですね? 『Vorfrühling』は検閲・処分を受けた後、結局(その出版元からは)出版しなかったので検閲文書も残らなかった、ということかもしれませんね。「政治的な立ち位置にも関わってきてしまう」というのは本当にそのとおりだと思います。一部の論者は内務省の検閲は全然問題にしないにもかかわらず、GHQ検閲に対してはやたらと饒舌なので……。しかし、『Vorfrühling』が一部削除命令を受けたというのは、貴重な情報でした。
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