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  水かぎろひしづかに立てば依らむものこの世にひとつなしと知るべし

     葛原妙子『橙黄』1950年



 『橙黄』のなかでは比較的よく引かれる歌だが、私は初読のときから「ひとつなし」という言い回しに違和感を感じている。

 その意味するところは「ひとつない」だろう。つまり、自分が頼るようなものはこの世にひとつもない、ということである。ならば、歌の言葉にも「も」が必要ではないだろうか。

 この「も」は、
 

 最も実現しやすく、条件としては最低のものであることを示す。

   (広辞苑第5版)



 現代語で言い換えるなら「さえ」、古語で言い換えるなら「だに」あたりになる。この「も」を使わずにその意を含む文例を挙げてみよう。雲ひとつない、傷ひとつない、標識ひとつない、浮いた噂ひとつない、感謝の言葉ひとつない、何ひとつない……。いろいろと考えてみたが、どれも「ひとつ」の直前に体言が付く。
 

ちりひとつなしと歌はれしわが庭の荒れにけるかも落葉つみつつ

  伊藤左千夫『左千夫歌集』明治35年の部



という歌でもやはり「ちり」が付く。同じ『橙黄』でも、父の死を題材にした、
 

抱かれし記憶一つなし名聞(みやうもん)の著き醫師(くすし)にて在しき君は



という一首では、「一つなし」の前に「記憶」が付いている。大辞林3版の「ひとつ」の項に、
 

 名詞の下に付けて、限定または強調したり、最低または最少の例としてあげ、他を類推させるときに用いる。



とあるとおりだ。体言が付かない表現として「ひとつ残らず」を思い付いたが、「ひとつ残らないで」とは言わない。これは例外的な慣用句と見なすべきか。

 要するに私見は、直前に体言を付けずに「ひとつなし」と言うことはできない、ということだ。北原白秋『橡』(1943年)に、
 

西よりぞ月冴えまさるこの夜ごろ銀杏のこずゑ葉はひとつなし



という例があってちょっと困るが、私はこの「葉はひとつなし」も葛原妙子の「この世にひとつなし」もともに破格の表現だと思う。ちがうだろうか?



(2014.3.2 記)

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