最新の頁   »   会津八一  »  会津八一の年譜について(2)帝国軍艦
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 八一の自筆年譜を見ると、13歳の1894(明治27)年までは記事が少ない。記事が増えるのは、新潟中学校に入学する1895年からである。この年、新潟の地方新聞『自由新報』に載った弓術の記事に対し、反論の投書をしたという。八一の著述が活字になったのは、これが最初ということになっている。この『自由新報』の該当号はまだ見付かっておらず、今後の調査の課題である。

 さて、自筆年譜の同年の項に

 初めて帝国軍艦を見学す。



という記事があるのに注目しよう。十二巻本全集の年譜には、これと同じ事柄を示す記事がないのである。

 「見学」とあるから、艦内を見て回ったようだ。珍しい体験であることは確かだとしても、一生涯の記念としてわざわざ記すようなことだろうか。それをありがたがる態度は、まるで軍国主義者のようではないか——。

 まさにそのような疑問から、十二巻本全集の年譜はこの記事を採用しなかったのだろう。

 自筆年譜を底本にした九巻本全集の年譜の編者は安藤更生・宮川寅雄・長島健。いずれも八一門下で、安藤が一番の高弟。その安藤の没後に企画・編纂された十二巻本全集では、年譜の編者が宮川・長島の二人になる。ここでは年長の宮川が主導権を取っていたと考えられる。

 東洋美術の研究者である宮川は、戦前には共産党の地下活動に関わり、豊多摩刑務所で斎藤瀏と隣り合わせの独房に入っていたという人でもある。八一の「戦争認識」に関する次のような文章に、宮川の思想上の立場は明瞭に顕れている。

 これまでたどってきた会津八一の戦争認識は、当時の国民一般のそれと、さほど距離のあるものではない。しかし、だからといって、会津八一ほどの人物が、まったく、日本帝国主義の植民地主義を認識できず、あれほど愛し、理解しているかに見えた中国の、その内部に顕在している革命の波濤も知ることができなかったのは、痛ましいといわなければなるまい。そのことは、かつての時代の、岡倉天心や夏目漱石とも、同質の盲点につらなるものであり、正しい洞察が、かれらの内部につちかわれた天皇への敬慕によって掩われていたのでもあった。
 (宮川寅雄『会津八一』紀伊国屋新書、1969年)



 このように記す宮川の目に、「帝国軍艦」云々の記事が師の年譜を汚すものとして映っていたことは想像に難くない。

 しかし、八一の人物像を考える材料として年譜を捉えるとき、その記事を採用しないことはやはり誤った判断だったのではないか。共産主義に走った門弟を遠ざけなかったことと、軍艦を初めて見た感動を晩年まで忘れなかったことと、どちらの面も併せ持って会津八一という一個の人物が存在するのだ。

 「帝国軍艦」から目を背けるよりも、むしろその意味についてもっと考えた方がよい。明治時代、全国の港を廻る海軍の軍艦は、各地で庶民の見物の対象だった。岩本素白は八一と同時期に早稲田大学に学び、後年八一と同様に母校の教壇に立った人だが、その随筆に次のように記している。

 その頃の軍艦といふものは、厳めしくはあるが同時に美しいもので、それはただ平和を保障する象徴のやうな時代であつた。ふねも小さく、たかだか二三千噸のものが大きい方で、到るところの小さい港まで訪問して、人民たちに敬はれ、喜ばれ、珍しがられ、愛された時代であった。(「菓子の譜」)



 それは八一の故郷の新潟でも同じだった。八一は大学在学中に地方新聞『東北日報』で俳句欄の選者を務めることがあったが、そのときに選んだ句に次のようなものがある。

軍 艦 を 見 に ゆ く 人 や 松 の 内
軍 艦 の 中 よ り 上 る 初 日 か な

 (『東北日報』1904.1.1)



 1句目はその言葉通りの句。2句目は軍艦旗掲揚を初日の出に見立てている。寄港した軍艦を人々はなぜ見に行くのか。ただその外形の厳めしさや美しさを喜ぶだけではない。「平和を保障する象徴」として敬うのだ。明治の新潟の人にとって、クニと言えばまずは新潟だったが、軍艦はその上にある大日本帝国という国家を象徴していた。ことに1895年は日清戦争の講和の年だから、そのことが強く意識されたにちがいない。初めて軍艦を見た中学一年生の八一は、それまで頭の中で抽象的な理屈として捉えるだけだった国家の姿をも同時に見ていたはずだ。


(2014.2.8 記)

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