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 1951(昭和26)年10月2日に中城博と協議離婚したふみ子は、同月下旬、長男と長女を帯広の両親のもとに置いて、一人上京。出発前に歌友の舟橋精盛に「女性として、自活できる技術を身につけて帰りたい」と告げていたという。東京では、東京家政学院時代の友人浅川雅子の家に身を寄せた後、部屋を借り、タイピスト養成所に通ったが、一ヶ月足らずで母に説得されて帯広に戻った。

 小川太郎『聞かせてよ愛の言葉を』と佐方三千枝『中城ふみ子 そのいのちの歌』は、それぞれ浅川に直接取材している。小川が紹介する浅川の証言から見ていこう。

 ふみ子さんは、正直に、お金がなくなったので、電柱かなにかの求人ビラで見つけたキヤバレーで一日いくらで働いている、制服は貸してくれるの、なんて言い出したので、驚いたことがありました。



 小川同書の功績の一つは、長く消息不明だった若月彰のインタビューに成功し、その内容を近影とともに収載したことだが、なかに次のような若月の証言がある。

 ふみ子が子供を置いて上京していたことがあったでしょ。そのとき、生活費がなくなり、新宿のちょっと怖いバーで働いたことがあり、古株の姐御に可愛がられたと言ってたよ。いろいろ体験しているんだと思ったね。



 キャバレーと「ちょっと怖いバー」という食い違いはあるものの、それに近い事実があったと推定するのが自然だ。

 終電の呼笛鳴りゐて新宿の街の傾斜はただ暗くなる

 汚れたる花粉にも似て運ばるるわれよ終電車を濡らしゐる雨



 ともに帯広の歌誌『山脈』1952年3月号の掲載作。2首目はこの後、推敲を経て『乳房喪失』に収められた。どちらも一応意味の通る歌だが、浅川と若月の回想談もまた読解の一助になるだろう。

 一方、佐方は同じく浅川に取材しながら、キャバレー云々の証言は取っていない。また、小川同書の浅川証言に言及することもない。佐方は『新墾』1952年2月号に掲載され、のちに『花の原型』に収められた歌、

 文字盤にあはあは白き月ありて憑かれし如くタイプを叩く



を引いた上で、次のように記す。

 タイプの鍵に月光がかかる時間とは、夕方から学校に通い、昼間は仕事を探していたのだろうか。(略)体調が優れなかったこともあり、職につくこともなく母に連れ戻された。



 この上京の段については、私は佐方同書の方に疑問を感じている。「職につくこともなく」の職がフルタイムの正規採用という意味なら、それは事実にちがいない。しかし、キャバレーかバーかに勤めたことがあるという証言を避ける必要はあるだろうか。その職業経験はおそらく作品の読解にも関係する事柄であり、私は評伝に取り上げる価値はあると思う。取り上げないことがふみ子のプライバシーへの配慮だとすれば、その一方で中城博の「女性問題」を記すことなどは幾分公平でない感じもする。

(続く)
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