最新の頁   »   短歌一般  »  光森裕樹『うづまき管だより』について
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 『笛』2013年9月号掲載の文章。初出時のプリントミス二箇所を訂正した。『笛』には著者校正がない。それでプリントミスもやや多くなってしまうのだが、このときはそのミスの一箇所が引用歌の大事な1字だったので、マイッた。

     §


  光森裕樹歌集『うづまき管だより』(kindle版)


 光森裕樹の第一歌集『鈴を産むひばり』の装幀はいまどき珍しい、簡素で上品なものだった。出版社は「港の人」。以前『假泊港』(笹原常与著)という、まことに美しい装幀の詩集が出て、その版元がやはり「港の人」だった。版元選び一つとっても、モノとしての本、に対する光森の愛着は紛れもない。

 第二歌集『うづまき管だより』がいわゆる本ではなく、電子書籍だと知ったとき、「歌集が?」と少し驚いた。しかし、光森がそれを実行したことについては、意外な感じはしなかった。電子書籍を読むには、電子書籍リーダーやタブレット端末が要る。ハードへの関心という点では一貫しているのだ。

 さて、その『うづまき管だより』の歌であるが、結論からいえば『鈴を産むひばり』とは別物である。そのことにこそ、私は驚いた。

蜂蜜にしづむピアスの持ち主のよこすメイルの長き秋雨
国匤匡圧土十一(くにほろぶさま)・一十土圧匡匤国(くにおこるさま)けふも王が玉座を吾にゆづらぬ



 『鈴を産むひばり』より。特徴は、イメージを喚起する力の確かさだろう。二首目は才知のひけらかしだけのように見えて、そうではない。圧・土・一といった漢字が呼び起こすイメージの豊かさに魅力がある。さらに、土屋文明の一首「新しき国興るさまをラヂオ伝ふ亡ぶるよりもあはれなるかな」への連想を通してたちあらわれる満州の幻影にも。

内海と外海のこゑ聴くときにうづまき管は姉妹と思ふ
てのひらをすり抜けさうな雪だからはめて間もない手袋をとる



 『うづまき管だより』より。前の歌集から一転、難解と思う。一首目は左右の渦巻き管が姉妹なのか、はたまた内海と外海が姉妹だというのか。二首目は「はめたばかりの手袋を」と解したいところだが、それにしては「間もない」が意味あり気だ。あるいは別解が? これらの疑問にGoogleは答えてくれない。イメージは朦朧としたままだ。

 歌を詠まない少年期から脳裏に蓄積したとりどりの記憶を、光森は第一歌集で使い切ったのだろう。それで詩作ならぬ思索を始めたのだ。難解さは、その一つのあらわれにちがいない。

ノアはつがひの絵を描き飾るばかりにてがらんだうなるままの方舟



 広い舟の中に動物たちはいない。このがらんどうのイメージは、第一歌集の歌のように鮮やかで、美しくさえある。ただし、これは単なるイメージではない。それ以上の意味を内に含むのだ。やがて水は引くが、動物たちのいない世界で、人もまた死に絶えるだろう。ノアのニヒリズムは、震災以後の我々の比喩のようでもある。美と意味が危うく均衡を保つこの歌は、光森の新たな作風を示唆しているのかもしれない。


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