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 長崎のうみへと抜けてゆく風の絵踏は春の季語であること

   松村正直「絵踏」(『塔』2013.12)



『塔』12月号に載っている歌。一読して、いい歌だなと思う。しかし、これをなぜいい歌だと感じるのだろう。

 上句はもちろんよく分かる。下句も、「そうか、キリシタンを探す踏み絵は季語なのか」と教えられるものの、難解ではない。

 長崎奉行所の絵踏は毎年、正月四日から八日まで行われたという。キリシタンでない人間にとっては、年中行事の一つのようなものだから、季語に登録されることにもなるのだろう。「春」というのは旧暦の春で、現代人の感覚では冬。「風」はまだ寒風に近いイメージだ。

 かなり迷うのが、上句と下句のつながり方である。「風の」は下句のどこに、どういうふうに掛かるのか、すぐには了解しがたい。しかも、同時に感じるのは、どうもこの歌の味わいの過半がこの「の」に拠っているらしいということだ。

 次のような形と比べれば、一目瞭然。

改作/ 長崎のうみへと風が抜けてゆく絵踏は春の季語であること



 一首の意味は、こちらの方が格段に分かりやすい。しかし、元の歌にあった魅力がずいぶんと後退してしまう。

 やはり、日常の物言いから離れた「風の絵踏は」という修辞に、この歌の味わいがあるのだろう。上句を序詞風に解して、

 長崎の町なかから海へと抜ける風の絵を見ながら、昔の絵踏が春の季語であることなどを思ったことだ。



といった意味に取る読み方を、試みに出しておこう。風を描く絵、というところがやや引っかかるか。


(2013.12.22 記)

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