最新の頁   »   短歌一般  »  真中朋久「安寧禁止」を読み、福田米三郎『掌と知識』のあれこれについて少考する
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 真中朋久のエッセイ「安寧禁止」が『塔』2月号に掲載後、塔短歌会のサイト上でも公開されている。先ごろ私はその題に引かれて読み、全体の主旨には説得されたのだが、一方で細部には疑問点を残しているとも思った。おそらく真中はその後も調査を続け、疑問点も今では解消されたことと想像する。差し当たり、私自身の手控えのために、その疑問点と答案をここに記しておこう。

 真中のエッセイは、福田米三郎の歌集『掌(たなごころ)と知識』(1934年)を国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧した後、その感想等を記したものだ。私の理解では、内容のあらましは次の通り。

 ①国会図書館デジタルコレクションの現況

 近年国会図書館所蔵本のデジタル化が進み、インターネット上で自由に閲覧できる本が増えたことを紹介する。情報の保存のためにデジタル化が有効であると主張する。

 ②福田米三郎『掌と知識』の検閲と処分

 たまたま国会図書館デジタルコレクションを利用して掲出歌集を閲覧したところ、その本の表紙等に「申報」「安寧禁止」の押印があったということを報告する。当時の検閲の実際について、原本中の押印などを手がかりにして考察することが有益だと述べる。

 ③『掌と知識』収録歌と伏字

 同歌集の収録歌を三首引き、その一部に伏字があることを指摘する。同歌集は体制への抵抗を煽動するような内容ではなく、兵士の心が荒んでいく苦い現実を述べ表しているといった読み方を示す。

 ④無名歌人の再評価

 福田がいわゆる埋もれた歌人であることを指摘した上で、資料のデジタル化が過去の歌人の発掘と再評価に繋がるとの見通しを示す。


 どれも妥当と思われる指摘と主張で、私などももちろんそれらに異論を持つものではない。疑問点はいずれもその間の細部にとどまる。

 さて、その疑問点であるが、私見では次の三点。まず当時の検閲用語の意味、次に伏字の種類とその意味、さらに『掌と知識』の発禁処分の具体的な理由である。


     §


 まず、当時の検閲用語の意味について。当該本の表紙に〈申報〉〈安寧禁止〉、扉等にも〈安寧禁止〉の押印があったことに触れて、真中は次のように記している。

 後に一冊本の『福田米三郎全集』(福田米三郎研究会編、1980年)が出ていて、その年譜によると、奈良県警で取り調べを受けて発禁処分となったとある。「安寧禁止」というのは、おそらく「安寧(を乱すから発行)禁止」ということだろう。これはいわゆる「発禁」(「発行禁止」または「発売頒布禁止処分」)の一部なのか、警察内部での言い換えなのか。「申報」も見慣れぬ用語だが、警察用語で現場(警察署など)から本部への報告ということであるらしい。


 昭和戦前期の出版物の検閲については、専門家(浅岡邦雄、牧義之、水沢不二夫、安野一之等)の研究がすでに相当深いところまで進んでいる。〈安寧禁止〉〈申報〉などは実は初歩的な基礎用語に属する。

 〈安寧禁止〉から説明しよう。単行本の発売頒布禁止処分の根拠法は出版法で、その処分の理由は安寧秩序紊乱と風俗壊乱に大別されていた。当局の事務手続きでは、禁止処分のうち前者を理由とするものを〈安寧禁止〉と呼び、後者を理由とするものを〈風俗禁止〉と呼んでいたというわけである。

 一方、〈申報〉は〈現場から本部への報告〉を意味する警察行政用語で間違いない。出版法の規定では、単行本は発行日以前に内務省図書課に二冊納本することになっていた。ところが、意図的かどうか分からないが、『掌と知識』の発行者(歌人の清水信)はこれを納本しないまま発売頒布した。そして、おそらくは出版地の奈良県下において同県警察部がこの無届出版の事実を摑み、かつ本の内容が安寧秩序の条件に牴触する疑いのあることも発見して、東京の内務省図書課に〈申報〉したのである。『掌と知識』の国会図書館所蔵本は、まさしくこのとき奈良県警が本省に送付した本だろう。

 現在、この本には国会図書館内の請求記号として「特501-519」が付されている。ウェブサイト「リサーチ・ナビ」の中の「国立国会図書館所蔵の発禁本」を見ると、

 終戦後、内務省が保管していた発禁本正本は米軍に接収されました。1970年代に一部が国立国会図書館へ返還されました(後略)。


とあり、その返還本には「特501」から始まる請求記号を付している旨を明記している。


     §


 次に、伏字の種類とその意味について。真中は、

戦友 そんな名で呼び慣れて お前と俺は 一緒に  れる


といった歌を引いた上で、次のように述べている。

 「×」印などを使って、これみよがしに伏字するのではなく、空白にするのは、目立たなくするための戦術なのか。


 引用歌では〈一緒に〉と〈れる〉の間に二字分の空白があり、そこがつまり伏字である。しかし、この空白の伏字について〈目立たなくするための戦術〉と解するのはうがち過ぎではないかと思う。

 伏字は〈×〉以外にも多種多様な形が存在した(牧義之『伏字の文化史』2014年、参照)。空白の伏字もその一種で、特に珍しいものでもない。そして、どうだろうか、空白の伏字も〈×〉同様によく目立つように私には思われる。そもそも伏字を目立たなくする必要性もあるのかどうか。まだ再考の余地が大きいというのが私の感想だ。


     §


 さらに、『掌と知識』の発禁処分の具体的な理由について。真中のエッセイには、

 どの部分がいちばん「安寧」に抵触したのか。抵抗を扇動するようなものではなく、初年兵だったときに殴られたように初年兵を殴るとか、むしろ心が折れてゆくような苦い現実が痛々しい。


とあるのみである。〈どの部分がいちばん「安寧」に抵触したのか〉は結局、解明されないまま終わっている。しかし、これについては先行研究がある。『掌と知識』が安寧秩序紊乱のかどで発禁処分を受けたこと、内務省の内部資料『出版警察報』にその処分の理由の詳細が記載されていること、を内野光子『短歌と天皇制』(1988年)が報告済みなのである。すなわち、『出版警察報』74号(1934年10月)に、

 本書ハ軍隊生活ノ裏面ヲ誇張的ニ描写シテ軍務及軍制ヲ呪咀スルモノデ所謂反軍出版物ノ尤タルモノデアル。(126頁)


とあり、該当する歌十六首が引かれているのだ。三首だけ紹介すると、

已に掌に木銃だこが出来る その掌と知識を 俺は見くらべてゐる

先ず 馬となつて水辺に牽かれて 飲むもんかと 歯を食ひしばつてゐた

頰を打ち・顎を裂き・口を割り・歯を抜き・喉を開き 注込まれる水に 咽せて嗤へぬ


 案に相違してというか、これだけ見るとひどく抽象的な作風のようにも見える。しかし、歌集全体を通して読めば、〈反軍〉的傾向は紛れもない。当時の検閲官たちにこういった作品の意図を正確に読み取るだけの文学的素養があったことも、記憶に留めておくべきだろう。

 なお、昭和戦前期の歌集・歌書の検閲と処分について言及しようとするなら、内野の『短歌と天皇制』は必読書である。なにしろ、その時期に発禁や削除等の行政処分を受けたほとんど全て(!)の歌集・歌書について、同書は解題・解説を加えているのだ。仮に同書中に載っていない本があったとしたら、それはおそらくまだ誰も報告していない新資料である。もし同書中に記述のない事実に気付いたとしたら、それはたぶん新発見の事柄である。

 ちなみに、内野の当該論文の初出は1974年。検閲正本の『掌と知識』がアメリカ側から国会図書館に返還された年は、それより遅い1977年だった(本に押された受入印の日付が「52.9.5」)。だから、内野の解説中には返還された本の話は出てこない。国会図書館所蔵本『掌と知識』が出版当時の検閲正本であること、その表紙等に〈申報〉〈安寧禁止〉の押印があることは新発見の事実である。

 私が初学の頃、先輩筋の方から〈短歌史を勉強するなら木俣修『大正短歌史』『昭和短歌史』、篠弘『近代短歌論争史』『現代短歌史』、内野光子『短歌と天皇制』〉と教えられた記憶がある。前の二人の著書は今も変わらず参照されているようだ。それに対して、内野の本は近年引用されなくなった気がする。しかし、では内野の本よりずっと先まで皆の研究が進んだのかというと、そんなことはないのである。三枝昂之『昭和短歌の精神史』(2005年)は木俣・篠・内野に続く短歌史研究の大きな成果だが、三枝の本を読む人には、併せて内野の本も勧めたい。


(2023.12.29 記)

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