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 遠藤由季「亡き人の幻を見つめ続けた歌人」は、森岡貞香の第四歌集『珊瑚数珠』(1977年)の歌について考察する。同歌集中の一首、

陽干しせる行李に見えて蟬のごと墨跡ありき亡きひとの名前


は『短歌研究』1966年7月号の掲載歌、

草に乾す行李にいまも消えぬ名の故人は大陸に黄河渡りき


を改作したものではないかという。ちなみに、森岡が五十歳だったのがこの年である。遠藤の論証は簡潔ながら手堅く、〈草に乾す……〉を〈陽干しせる……〉の初出と認めてよいだろう。

 私などは歌集収録歌が何かこう、心にしっくりこない。墨跡が蟬の形のように見える、ということを言い表すのに色々と語順を入れ替えたり、〈形〉の類の言葉を省いたりしている。一方、初出形は言葉の繋ぎ方がずっと素直だ。〈草〉や〈黄河〉の道具立てがあることによって、現在と過去のそれぞれの風景がはっきり見えてくる気もする。この初出形の方がよかったのではないかと思ってしまう。しかし、これに飽き足らず、歌集収録歌のように表現に晦渋さを加えるのが森岡流の方法なのだろう。

 なお、歌の素材である行李について、遠藤は〈亡き夫の行李だろう〉と推定しつつ、〈父である可能性もある〉と補足している。森岡の父と夫はともに職業軍人だったので、行李の持ち主は夫かもしれないし父からもしれないというわけだが、ここはやはり夫の方だろう。今年八月、松村正直のオンライン講演「軍人家庭と短歌:戦後派歌人森岡貞香の初期作品を中心に」が、

何時にても戦帽の垂布ひるがへり黄河の河畔にありき写真の
  (『百乳文』1991年)

黄河の川岸に立ちてゐる写真 軍装のその人いづへにか往く
  (『夏至』2000年)


といった歌を引き、さらに長男森岡璋の次のような一文を紹介していた。

 母が常に手許に置いていた父の写真は軍装で黄河を渡河する写真であった。
  (『偕行』2009年11月)


 これを踏まえれば、「故人は大陸に黄河渡りき」の故人は亡夫のことと解してよい。ということは、その改作「陽干しせる行李」も亡夫の遺品である。


(2023.12.13 記)

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