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 葛原妙子の第一歌集『橙黄』(1950年)は「霧の花」「橙黄」の二章から成っている。この章立てにどんな意味があるかというと、前者は1944年秋から翌45年秋までの疎開生活に取材した作品、後者は戦後五年間の生活に取材した作品ということである。

 では、この最初の歌集がなぜ疎開生活の歌から始まっているのか。それは著者本人が疎開で軽井沢に移り住んだ一年間を自分の人生の重要な画期と見なしていたからだ。のちに葛原はこの一年間を振り返って、

 今やそれ以前の生は消し飛んで無きが如くである。すべては此処から発し以後の私を作りあげた。


と語った(「戦後短歌の「方法」の推移とわが越し方」、『短歌』24巻8号、1977年7月臨時増刊)。また、別の随筆には、

 私はこの山で強くなって零下数十度の寒冷や飢餓に耐え、漆黒の闇にも慣れた。いまはどんな水溜でも自由に飛べたし、いなづまの差す道をおさな児や荷物もろともに走ることも出来た。/精神が自由になって……


云々とも記している(『孤宴』1981年、91頁)。東京府下の病院長夫人が一人で三人の幼い子どもたちを連れ、寒冷の僻地で冬を越して強く生きる自信を得たということだろう。そのことに葛原本人は重大な意義をみとめていた。葛原が潮音社に入り、本格的に短歌を作り始めたのは1939年だったが、それ以上に1944年の疎開を人生の節目として本人は重視していたわけである。

 ところで、ここに一つ問題がある。「霧の花」の歌は実際に44年秋から45年秋までに制作していたものか。通説によれば、そうではない。

 歌集の後書を見ると、

 昭和十九年の秋から翌終戦の二十年の秋迄、約一年間の疎開生活の記念として、「霧の花」が残された。紙数の都合上、これらの外に切捨てられた歌を加へて私の第一歌集とされる予定のものであつた。


とある。元々は一年間の疎開中に作った歌でもって歌集『霧の花』を編む計画だったが、それは実現しなかった、そこで今、その中から抄出した歌に戦後の作を加えて歌集『橙黄』を上梓する——というのだ。ところが、歌集刊行当初から、潮音社内ではその言葉が額面通りには受け取られていなかった。『潮音』1951年2月号が『橙黄』の書評を三本載せているが、そのうちの一本、赤松秀雄「歌集「橙黄」に寄せて:短歌に於ける感覚」に、

 試みに昭和十九年秋頃の潮音誌上に載つた氏の歌をみるがよい。この歌集に於て、それらの歌が如何に書き更められてゐるかをみるならば、この作者の胸中をおそつた嵐のやうな覚醒の跡がうかがはれるであらう。


とある。「霧の花」の歌は昭和十九年当時『潮音』誌上に載っていた歌とは違う、と認識されていたのだ。どうして違うのか。ずっと後年になって、藤田武がその事情を説明する重要な証言をした。

 疎開生活の記録的作品とされていた第一部「霧の花」の大半が、実は、昭和二十五年夏過ぎてからの一週間ほどの間の制作で、全体的に再構成され、逆に『橙黄』のなかの最も新しい部分でもあることは、従来、見逃されていたことである。(『短歌研究』1980年10月)


 「霧の花」の大半は、歌集刊行の目前の時期、ごく短時間のうちに集中的に制作されたものだというのだ。葛原本人もどこにも書き残していない内容の証言である。藤田は同じ潮音社の歌人で、葛原とも早くから親しい間柄だったから、葛原から直接その話を聞いたものと推測される。それで、寺尾登志子『われは燃えむよ:葛原妙子論』(2003年)川野里子『葛原妙子:見るために閉ざす目』(2019年)もこの藤田証言を採用し、「霧の花」の歌の大半の制作時期を50年夏と見なしてきたのである。

 さて、私もこの通説に異論を唱えようというのではない。ただ、藤田証言をよく読めば、「霧の花」の一部の歌は50年春以前に制作され、残りの歌が50年夏に制作されたと受け取れる。では、どの歌が50年春以前の制作なのか。その中には疎開中にすでに作っていたものもあるのか。先行研究は、そのような細かい検証には手を付けてこなかった。そこで思い立って、「霧の花」の歌の初出調査をしてみた。現時点で分かったところを近日中に整理し、報告する。


(つづく)


(2023.9.3 記)

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