最新の頁   »   短歌一般  »  高良真実「預言は腹に苦い」について(2)
RSSフィード iGoogleに追加 MyYahooに追加
 さて、高良は同じ note記事で、余談と称して前田の別の文章まで批判している。「現代短歌のダイナミズム」と題する二年前の時評(『水甕』2021年3月)である。前田はそこで杉崎恒夫『パン屋のパンセ』(2010年)の歌を引き、

 散文化した直叙表現が索漠とした現代のリアリズムとして持て囃される風潮の中、高みを目指す魂のリアリズムを感じさせる彼の作品群は、現代短歌の底荷として読み継がれてほしいものだ。


と記していた。これに対して高良は〈魂のレアリスム〉が塚本邦雄の、〈底荷〉が上田三四二のタームであることを指摘しつつ、次のように言う。

 果たして、杉崎の歌は「魂のレアリスム」を目指しているのか。「短歌の底荷」であるのか。2010年に発行された歌集を形容する言葉として果たして適切なのか。その検証が不十分なまま使われているように見えてならない。


 そうかな……? もし適切でないと思うなら、高良自身がまずその検証結果を示すべきではないか。字数制限のないウェブ記事でそれをしないのは、批判者の側の怠慢だと私は思う。

 塚本の〈魂のレアリスム〉は写実派の現実模写に反対する意味の言葉だった。前田は〈散文化した直叙表現〉のリアリズムの対極に杉崎の歌を位置付けようとしている。そして、杉崎は写実派ではない前田夕暮の流れを汲む歌人である。とすると、前田の文脈上では、杉崎の歌に〈魂のレアリスム〉をみとめることは案外筋が通っているのではないか。

 一方、上田の〈底荷〉はそれ自体は目立たないが船の転覆を防ぐもので、短歌は日本語にとっての底荷だというのだ。歌人の卑下と自負の入り交じった歌論であり、なかなか味わい深い。しかし、特定の歌人や作品に賛辞を贈るときにこの〈底荷〉なる用語を使用するのはどうだろう。確かに、それはマズいだろうという気もする。いずれにせよ、高良は前田が

 短歌史上の単語を、その文脈を無視して引用している……


と断言するのだが、そこまで痛罵されるほどひどい文章だとは私は思わなかった。なお、高良は

 上田三四二の「底荷」は(略)1983年に発表される。この小エッセイを収録した『短歌一生』は1987年刊行である。角川『短歌』このフレーズを借用して、結社誌に注目を促す連載「短歌の底荷」を2021年2月号から開始した。時評子はこれをさらに借用したのだろう。


と書き、批評用語の〈借用〉の〈借用〉を笑いものにしている。こういうのは読んでいて不快だ。そもそも、高良だって、上田の〈底荷〉については東郷雄二の時評「日本語の底荷」(『短歌』2021年7月)を読んで初めて知ったのではないのか。高良は本文中では一貫して前田の名を記さず、その代わりに〈時評子〉とかいう見慣れない単語を使っている。この〈時評子〉も東郷の時評の一人称から借用したのではないのか。


(2023.8.27 記)

関連記事
NEXT Entry
葛原妙子「霧の花」の制作時期(1)
NEW Topics
短歌結社は#MeTooの告発にどう対処したか(3)
短歌結社は#MeTooの告発にどう対処したか(2)
短歌結社は#MeTooの告発にどう対処したか(1)
歳の初めに
真中朋久「安寧禁止」を読み、福田米三郎『掌と知識』のあれこれについて少考する
酒井佑子歌集『空よ』刊行
『チメイタンカ』を楽しむ(3)
『チメイタンカ』を楽しむ(2)
『チメイタンカ』を楽しむ(1)
あふれば? 『ラツパと娘』の歌詞の不思議
コメント
Trackback
コメントを書く
 管理者にだけ表示を許可する
ブログ内検索
和爾猫より

和爾猫

Author:和爾猫
-
主に近現代の短歌について調べています。
同じ趣味の方がいらしたらうれしいです。

情報のご教示などいただけたら、
さらにうれしいです!

検索フォーム
最新トラックバック
QRコード
QR

CALENDaR 1234567891011121314151617181920212223242526272829