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——「なよたけ拾遺」以前——


 歌いたいのは、きょうの私。きのうの私でもあしたの私でもなく———二十歳の永井陽子はこのように記した。「私」の存在の確認を求めてやまない、若い歌人の姿がそこにある。

 「たどたどしたうら若い抒情」などというものを被衣にして青春の全部を過ごし得るとは私自身思っていない。しかし、いくら腕組みして考えてみたところで、ほかに歌いたいものなんかないのだ。(略)

 もしかしたら、あした死ぬかもしれないのだ。私、私の短歌、私の少女期……「刹那的」であってもいい。

  (「きょうの私をうたいたい」、『短歌人』1972.2)



 この翌年、永井は最初の単行本である句歌集『葦牙』をまとめた。そこには次のような歌が並んでいた。

砂時計にぎりしめる朝 指をはなせば私の未来はこわれてしまう

心に音符をいっぱいつるしてもやっぱり寂しい秋

ペン皿を洗えば流れ出る恋慕 青年の棲む窓澄みわたる



 現代仮名遣い、口語文法、破調を作法の特徴とし、いずれも心象風景のなかに今日の「私」を確認しようとしている。しかし、このような歌のあり方を仮に「青春」と呼ぶなら、永井陽子の歌人としての青春期は瞬く間に過ぎ去っていったようだ。

 『葦牙』のあとがきを見ると、

 短歌は青春の文学である!



という一文に続けて、ただちに

 そんな十代のままのきわめて無鉄砲で一元的な思考を問い直し修正するべき時機にさしかかった今、この小冊子を編みながら、私はすでに祝福してやれぬ作品群がいかに多いかを思い知らねばならなかった。



と記している。そして、その言葉を証すように、『葦牙』には、「私」から意識的に離れようとする歌もすでに混じっているのだ。

 永井の自筆年譜(『歌壇』1991.11)の1970年の項に、短大入学の記事に続けて、

 冬、劇団四季による「なよたけ」の舞台を見る。



との記載があり、『短歌』1971年10月号掲載の「伝説の少女」7首中に、その観劇の体験を踏まえたらしい次の歌が見える。

ふと今宵伝説の少女に逢いたくて探しに来たよ もと光る竹を



 「逢いたくて探しに来た」と発言する主体について、読者は、それを「永井陽子」と署名された一人の「私」と結びつけて解することができるだろう。ところが、『葦牙』はこの歌を採らず、代わりに次のような歌を収録した。

竹の里の伝説一つ 手のひらに月あかり受けても愛してはならぬ



 愛してはならぬ——と言挙げする主体は、誰だろうか。歌を素直に読むなら、それは「私」とは直接結びつかない「伝説」の語り、もしくは科白である。

 『葦牙』をまとめる永井は、自らの青春期が過ぎつつあることを認識していた。短歌が「青春の文学」であるなら、歌い続けることはできない。しかし、永井は歌い続ける方法を模索していた。翌年『人』と『核』に発表した「なよたけ拾遺」は、新たな方法を試す一つの実験だったはずだ。


(2013.9.22 記)

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コメント
1
非常に興味深く、また意義深い内容ですね。
永井陽子さんの知られざる面に光が当たったように感じました。
今後の研究も楽しみにしております。

2
当ブログの最初のコメント、
ありがとうございます!

いま気付いたのですが、タイトルが
松村さんのホームページと似てしまいましたね。

ゆっくりなペースになるでしょうが、
更新を続けていきたいと思っていますので、
どうぞよろしくお願いします。

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