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ある歌について「差別的だ」と指摘することは、その歌の作者の態度、思想、場合によっては人格まで非難するに等しい。したがって、そういった指摘自体が妥当かどうかは厳しく検討されるべきだろう。本誌特集では、編集部編「明治・大正・昭和期の秀歌にみられる差別語の使用例」及び加藤英彦・染野太朗・松村由利子の座談会「短歌と差別表現」がさまざまな歌を挙げて、そこに差別表現があると判定している。以下、その当否に関する検討材料を出しておこうと思う。
前の「……差別語の使用例」は石川啄木『一握の砂』(1910年)から吉村睦人『吹雪く尾根』(1983年)まで計五十五首を挙げて、それぞれ「職業」「人種・民族」「地域・地方」「心身の障害・病気」「子供」「性」に分類している。末尾に次の注が付く。
差別語を意識して使用した例、発表当時は差別語とされていなかった例、また文脈において差別語として機能している例等が混在している。
作者に差別意識があったかどうかは必ずしも問わないで掲出したということだろう。ところが、最も肝心な差別語の判定基準、すなわち何をもって差別語と見なすかということはどこにも書いていない。いま、参考資料として小林健治『最新 差別語・不快語』(にんげん出版、2016年)を見ると、差別語とは
他者の人格を個人的にも集団的にも傷つけ、蔑み社会的に排除し、侮蔑・抹殺する暴力性をもつ言葉のことです。しかも、もっぱら自己選択できない自然的・社会的属性を差別の対象とされた人や集団を卑しめていう賎称語です。
とある。また、本誌収録の木下長宏「差別表現と芸術 序説」は、
メッセージを伴う表現体が、そこで、扱っている対象を、蔑んだり、侮辱したり、心的に傷つける形を見せ、個人であれ集団であれ、その対象を社会的にあるべき位置に居られなくする(あるいは居られない気持ちに追い込む)働きをしている場合のことを「差別表現」と呼んでいるようである。
としている。「……差別語の使用例」はこのような基準を示していないのだ。結果、何首かの歌については、それらがなぜ差別語の使用例として選ばれているのか、私には不審に思われた。もちろん、
人の来るゆふべの寺のくらがりに乞食をり中世のごときその声
佐藤佐太郎『冬木』(1964年)
閉鎖せしパチンコホールの階上に犬つれて若き鮮人が住む
中城ふみ子『乳房喪失』(1954年)
なにゆゑに室(へや)は四角でならぬかときちがひのやうに室を見まはす
前川佐美雄『植物祭』(1930年)
といった歌に含まれる「乞食」「鮮人」「きちがひ」が差別語とされることは理解できる。たとえば、キチガイという単語がマスメディアで使用されなくなったきっかけは、座談会で加藤が言及する通り、1974年に関係団体が出した要望だという。『最新 差別語・不快語』に引かれている全国精神障害者家族連合会の申入れ書には、
すべての障害者とその家族は、心身障害にかかわりのある表現が、興味本位やその欠陥を無能悲惨な状態を示すものとしてあつかわれることに対し、被差別者としての憤りを感じている。(略)不用意に『きちがい』という用語がもちいられると家族は萎縮し、回復期にある患者にはショックを与える結果を招いている。どうか被差別者の心の痛みを、みずからの痛みと感じとってほしい。(前掲書から孫引き)
とある。これを見れば、小林の提示した差別語の基準にキチガイという単語が該当することは明白だ。作者前川佐美雄の意図を問わないのであれば、「きちがひのやうに」を差別語使用例のうちに入れることは今日の社会通念に反していないだろう。しかし、「……差別語の使用例」に並ぶのは、このように理解しやすい歌ばかりではない。
若(も)しあらば煙草恵めと/寄りて来る/あとなし人と深夜に語る
石川啄木『一握の砂』(1910年)
「あとなし人」は今でいうところのホームレスの古語。その人と深夜の路上で語り合ったというのだから、一首全体に差別の意図が無いことは確かだ。同義語の「浮浪者」は昭和の後期まで一般に通用していたと記憶するが、現在は放送局の禁止語のリストに入っているらしい。しかし、古典の用語までそれと同一視するのはどうか。「あとなし人」がいけないというなら「ホームレス」も駄目なはずだが、そもそもその存在に言及することすら許さないのか。
飴売のチヤルメラ聴けば/うしなひし/をさなき心ひろへるごとし
同上
チャルメラの音に追憶を誘われているわけで、これも一首全体に差別の意図はない。「……屋」もまた放送局の禁止語リストに入っていると聞くが、「飴売」がその同類ということか。しかし、アメウリを言い換える単語が私には思い当たらない。菓子販売業? まさかね。しかも、ここでは目前の一個の人格を指してアメウリと呼んでいるわけでもない。それは単にチャルメラの旋律の種類を指しているだけだ。
あだ名して樊噲と呼ぶ極道もしみじみとしてあそぶ秋の夜(よ)
吉井勇『祇園歌集』(1915年)
「極道」を差別語と見なしたのだろうが、その判断の基準がやはり判然としない。明治大正の時代には悪口で使われることが多かった言葉だが、悪口すなわち差別語とはならないだろう。同じ歌集の一首「円山の長椅子(ベンチ)に凭りてあはれにも娼婦のあそぶ春のゆふぐれ」を染野が座談会で取り上げて、
自分は外側に立って、社会的に弱いひとたちだからこそ輝かせる、みたいなところが嫌ですね。
と発言している。しかし、樊噲に似る極道者の場合は弱者とも言いがたい。
琉球語が日本方言の一つなる事実だにせめて人よ忘るな
柴生田稔『麦の庭』(1959年)
この歌には、これを差別語と見なしたのだろうと推定できる語が見当たらない。あるいは、琉球語を日本語の一種に分類する文脈全体を、日本に沖縄を従属させる差別思考の表れと見たものか。しかし、琉球語を日本語の方言とする学説は現に存在し、柴生田はそれに拠ったに過ぎない。しかも、文脈に注意するというなら、柴生田の意図する文脈は沖縄を犠牲にして本土が復興することへの抗議ではないのか。
幼くてめしひし鶏は晩春のこの日頃卵うみつぐあはれ
佐藤佐太郎『帰潮』(1950年)
先に言及した全国精神障害者家族連合会の申入れ書などもメクラという単語への憤りを表明しており、「めしひ」という古風な名詞もメクラと同様の差別的な意味を含んでいると考えてよいかもしれない。しかし、この歌の「めしひ」は「目をしい」、つまり「視力を失い」という意味の目的語と述語だ。こういった言い回しまで差別的だとする意見があるのかどうか、私は知らない。
かにかくに祇園はこひし寝(ぬ)るときも枕の下を水のながるる
吉井勇『酒ほがひ』(1910年)
祇園の白川沿いに歌碑も立っている有名歌。それらしい語も見えないので、一首全体の内容が差別的だというのだろうが、一体どんな点にどんな差別をみとめたのかが私には分からない。なるほど、当時の芸妓や娼妓の多くが人身売買の被害者であることに作者は特に関心がないように見える。編集部はその態度を女性差別と判定したか。あるいは、「寝るとき」を娼妓相手の買春の場面描写と解し、買春に寛容な表現と判断しつつ、そこから女性差別の意識を読み取ったものか。
前者においては、人身売買が重大な人権侵害であることは言うまでもない。しかし、それへの無関心がそのままただちに被害者に対する差別だ、とも言えないように思う。後者については、それを買春の場面と解してよいのかどうか、疑問を提出したい。「寝るときに枕の下を」でなく、「寝るときも枕の下を」だ。これは、いつでも常に家のすぐ外を、の意ではないか。つまり、祇園の芸妓たちの日々の暮らしに想像を広げた言葉ではないのか。
あかるきは娼家の明り筑波ねの夜ふけの町にわれつきにけり
古泉千樫『屋上の土』(1928年)
髪こまかに巻きて爪紅(つまくれ)夕されば永安公司(こんす)に立つにやあらむ
土屋文明『韮菁集』(1945年)
この二首がなぜ差別的だというのか。娼家や娼婦を詠み込んだことについて女性差別と判定した、としか考えられない。しかし、どちらの歌も旅先のごく素朴な嘱目詠であって、それ以上の意味を持つものではない。作中主体が娼婦の客となったわけでもない。人権侵害の現状を棚上げしたままではセックスワーカーに言及すべきでないということなのか。
これに関連して注目したいのは、座談会における染野の発言だ。
差別語は、見ればわかる。差別意識もわりとわかりやすく見えるかもしれない。けれども、短歌が含みもっている差別構造、あるいはまなざしみたいなもの、それを捉えられるかどうかは、世代によってもちがうし、読者の個別のバックグラウンドによっても変わると思っています。
ここでいう「短歌が含みもっている差別構造」とは、歌の言葉自体に差別的な社会構造が入り込んでいる場合について述べようとしたものだろう。たとえば、そうした構造のもとにある一光景を無批判に描写する歌である。「……差別語の使用例」は染野のこの問題意識を参考にしているように思われる。
いずれにせよ、「……差別語の使用例」に対する私の不審は、編者が差別語の判定基準を開示しないことから始まっている。議論をもっと生産的なものにするために、編集部は次号にでもその判定基準を載せてはどうか。
(2020.4.11 記)