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 氷きるをとこの口のたばこの火赤かりければ見て走りたり

   斎藤茂吉『赤光』



 大辻隆弘「確定条件の力」(『歌壇』11月号)がこの「赤かりければ見て走りたり」について、

 「煙草の火の赤さ」が「原因」であり、「走ること」が「結果」である。



と述べ、そこに「何の因果も関連もない」物事を結び付ける「過剰な心的エネルギー」を感じ取ろうとしていることに対し、私は以前の記事に異論を記した。ところが今朝、何とはなしに気になって品田悦一『斎藤茂吉』(ミネルヴァ書房、2010.6)を見ると、大辻さんとほぼ同じ主張を品田さんがすでにしているのだった。

 ……諏訪湖畔の氷室にさしかかったとき、くわえ煙草で氷を切り出す男がいたという場面だが、下二句にやはり異常な句法があって、〈煙草の火が赤かったから走った〉と、条件と帰結の関係が常軌を逸している。(略)まるで煙草の火にこちらが操られているかのようだ。



 品田さんが赤光の特徴として、別の世界を想像するのでなく「この世界を見慣れぬ世界として再現してみせること」、を挙げたことに私は差し当たり反論するつもりはないのだが、「赤かりければ見て走りたり」の解釈に限ってはやはり賛成できない。以前の記事で述べたように、これは

  火が赤いのでそれに目を留めながら

くらいに解して問題ないところだ。それを

  火が赤かったから走った

などとわざわざ珍妙な読み方をするのはなぜだろう。茂吉の歌に異様さを求める評者の意識が、それほどでもないところまでそのように評者自身に見せているのではないか。


(2013.12.7 記)

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