早春のレモンに深くナイフ立つるをとめよ素晴らしき人生を得よ
(同)
に言及した塚本邦雄『百珠百華:葛原妙子の宇宙』(花曜社、1982年)の一節、
「素晴らしき人生」などといふ綺麗事はこの時、作者も、この言葉を奉られる處女も、てんで信じてはゐない。
を川野さんは次のように批判している。
ところで塚本は「をとめ」に迷うことなく「處女」の字を当てている。「レモン」と「ナイフ」の光彩がもたらす幻惑なのか、男性の読みはあっけなく処女幻想に絡め取られがちだ。(9頁)
しかし、「男性の読みはあっけなく処女幻想に絡め取られがちだ」というのはどうだろう。こういった見方の裏に、偏った男性観こそが潜んではいないだろうか。
処女(ショジョ)は今日では単に性的経験のないことだけを強調する言葉になっているが、古典の処女(ヲトメ)が同様であるかは議論の余地がある。『百珠百華』に見える「檸檬處女」(レモンヲトメ)なる造語には、塚本の古典趣味が明らかだ。塚本が「をとめ」に「處女」の字を当てるのは、処女幻想というより、この古典趣味のためだと見るのが穏当だと私は思う。
(2019.8.9 記)
NEXT Entry
NEW Topics