最新の頁   »   葛原妙子  »  川野里子『葛原妙子』について(1)追記あり
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 これも笠間書院のコレクション日本歌人選の一冊で、葛原妙子研究の第一人者である川野里子さんの新著。例によって葛原の秀歌五十首を選び、鑑賞文を付けている。まだ前半を読んだだけだが、注目したところを忘れないうちに書き留めておこう。

アンデルセンのその薄ら氷(ひ)に似し童話抱きつつひと夜ねむりに落ちむとす

 (『橙黄』女人短歌会、1950年)


について、川野さんは次のように書く。

 初句、結句が大幅な字余りであるこの作品は、不安な印象を与える。さながら、アンデルセンの冷えの世界に滑り落ちてゆくようでもある。この不安と冷えの感覚こそは近代短歌にない、戦後を生きる感覚であった。(3頁)


 この一首の「不安と冷えの感覚」に戦後短歌の特徴を見出そうとしている。先行研究には無い主張で、興味深い。ただ、そういった感覚が近代短歌に見当たらないと指摘するためには、もう少しその現代性を説明する必要があると思う。

水かぎろひしづかに立てば依らむものこの世にひとつなしと知るべし

 (同)


については、

 葛原は疎開先の浅間山麓で終戦を迎えるが、敗戦の現実感のない山中にも陽炎は立ちのぼっていた。(略)自らも大地とともに気体となって頼りなく揺らぎながら、葛原は「依らむものこの世にひとつなしと知るべし」と自らに言い聞かせる。まさにこの時、頼りにし、信じてよいものなど何一つこの世にはないという確信に至るのである。(4〜5頁)


 この「水かぎろひ」を特に終戦時のイメージとして捉える解釈も従来無かったはずで、強く印象に残った。論証は困難だろう。ただ、自由な鑑賞にゆだねてよいところだとも思う。川野さんの鑑賞は魅力的で、これをいたずらに否定するのはつまらない。


(2019.8.6 記)


 うっかりしていたが、「水かぎろひ」の一首は『橙黄』では「停戦」というタイトルの付いた一連より前に置かれている。つまり、歌集中の設定では終戦前の歌なのだ。このあたり、川野さんはどう考えているのだろう。魅力のある鑑賞をなんとか生かしたい。


(2019.8.7 追記)

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コメント
284
「水かぎろひ」の一連について
こんばんは、いつも記事を興味深く読んでおります。

川野里子さんが書かれた『幻想の重量ー葛原妙子の戦後短歌』(本阿弥書店、2009)を読むと、川野さんはおそらく、この歌を戦後に書かれたものと解釈されているようです。

「『橙黄』のあとがきには「昭和十九年の秋から翌二十年の秋迄、約一年間の疎開生活の記念として、『霧の花』が残された」と記されているが、疎開当時に葛原が疎開生活の連作を作ったとは考えにくい。「潮音」に発表される歌の数も極端に減っていた時期でもあり、歌風も異なる。かりにノートのようなものが作られていたとしても、後に多くの手が施されたに違いない。」(P.43)

とあります。その根拠のひとつとして、注に

「藤田武は『橙黄』の中で疎開中の生活を背景とした「霧の花」の章が出版の年に当たる二十五年の夏に書かれたことを記している。
「疎開生活の記録的作品とされていた第一部『霧の花』の大半が、実は、昭和二十五年夏過ぎてからの一週間ほどの間の製作で、全体的に再構成され、逆に『橙黄』のなかの最も新しい部分であることは、従来見逃されていたことである」(「短歌研究」昭和55年10月号)」(P.46)

と記しています。

「水かぎろひ」の歌が実際に戦後に書かれたかはわかりませんが、川野さんとしては「この歌は、素材としては戦中の疎開生活を基にしているが、終戦時の感情が反映されている」と解釈なさっているのではないでしょうか。

285
堂園さん、こんにちは。日ごろ実家の両親と松村正直さんくらいしか閲覧の無い(?)拙ブログにコメントを下さり感謝します。

一晩いろいろと考えてみましたが、堂園さんの推論が一番可能性が高そうです。ご教示ありがとうございます。

水かぎろひの一首は初出不明ですが、当時の潮音掲載歌とは確かに作風が違うようです。多分戦後の作なのでしょう。

『幻想の重量』の記述とあわせ考えると、やはりご指摘の通り、

《川野さんとしては「この歌は、素材としては戦中の疎開生活を基にしているが、終戦時の感情が反映されている」と解釈なさっている》

と取るのがよさそうです。川野さんがそのように明確に書いてくだされば、迷うこともなかったのですが、、、

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