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 季節外れのタイトルですみません。2018年10月24日付の平岡直子「一首鑑賞:日々のクオリア」を最近になって読んだもので。

 佐藤佐太郎の代表歌の一つ、

秋分の日の電車にて床にさす光もともに運ばれて行く


を取り上げた回である。平岡はこう書いている。

 電車の床に着眼するのも、実際には運ばれているわけではない光をあえて主観的に「運ばれて行く」と描写するのも、それなりに巧みな表現なのかもしれないけれど、そんな巧さが名歌を生むわけじゃない。この歌の奇跡は「秋分の日」という言葉のおそろしいほどの効き方にある。


 おそろしいほど効いているのは平岡の筆力であって、こんな有名過ぎる歌に対して独創的な解釈を繰り広げながら説得力があり、読んでいてすごくおもしろい。ただ、子細に検討してみると疑問点もあるにはあるので、後々の研究のために一応メモしておこう。

 その「日」の先に「電車」があらわれるとき、わたしたちが思い出すのはこの漢字のかたちの窓である。電車の窓。ローカル線でみたことがある、上げ下げすることで開閉できる窓だ。


 「上げ下げすることで開閉できる窓」は今日の目にはただ古い電車の窓というように見えるわけだが、どうだろう。この歌を収録する歌集『帰潮』は1952年の刊行。そして、「日」の形に似たその電車の窓は、実はそれよりも後の時代に登場したのではなかろうか。

 等分というイメージを図形的にあらわしたかのような漢字「日」……


と平岡はいうのだが、私は当時の写真でそんな形の窓が写ったものを見た記憶がない。電車の歴史をよく知らないから、間違っていたら申し訳ないことだが。


(2019.6.5 記)

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