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廟行鎮はきさらぎさむき薄月夜おどろしく三人(みたり)(は)ぜにたるはや

  北原白秋『白南風』(1934年)


 引き続き同じ歌。『戦争の歌』の鑑賞を読んであらためて思ったのは、連作中の一首だけを引いて鑑賞することの難しさだ。『白南風』では、掲出歌を含む十一首を「鉄兜」なるタイトルで括っている。その一連の文脈の中に置いてみると、掲出歌の印象もまた変わってくる気がするのだ。「鉄兜」冒頭歌は、

菜の花に眼のみうかがふ鉄兜童なりけり敵はあらぬに


 タイトルの「鉄兜」はこの歌から採っている。この歌が一連の中心をなすと見てよい。菜の花の間に小さな鉄兜と目だけが現れる構図が印象的で、美しい。子どもの目に焦点を絞り、背後はぼかした一枚の写真のようだ。それに加えて時代背景をよく取り込んでいて、よい歌だと思う。

 この歌の直後に「爆弾三勇士を憶ふ」との詞書が入り、これは残りの十首全てにかかるとおぼしい。その一首目が掲出歌。ほかに

ますらをはかねて期(ご)したれ行きいたり火と爆(は)ぜにけり還る思はず


突撃路あへてひらくと爆藥筒いだき爆(は)ぜにき粉雪ちる間(ま)


といった歌が並ぶ。これらを一首ずつ個別に見れば、そこに確かに「彼らの勇気を讃える心情」を読み取れるかもしれない。ただ、鉄兜の一首と関連付けて読むならどうか。菜の花畑で兵隊ごっこをして遊んだ子どももやがて成長し、本物の兵士となって出征し、戦死する。そのあわれさに主題が移ったように感じられないだろうか。

 一連の最後は次のような歌である。

兵士(つはもの)はしかく死すべししかれども煙はれつつその影も無し


 この歌意はやや読み取りにくい。兵士はこのように死ぬのが使命ではあるけれども、硝煙が次第に晴れてゆき、そこに兵士の生きた証は何も残らないのだ——というふうに、一応解しておく。軍国主義風の上句で擬装しつつも、下句で無常観を強調しているのは間違いないところだろう。そうだとすると、これ以前に置かれた掲出歌などは最後の一首の「しかく」につながり、それでもって「その影も無し」の思想に奉仕するもののようにも思われる。それを「軍国美談と同じく彼らの勇気を讃える心情が表れている」とだけ取るのは、やはり一面的な理解ではないだろうか。

 本書の鑑賞は、

 作者は大正期に「揺籃のうた」「ペチカ」「からたちの花」など今も人口に膾炙する童謡を数多く作詞したが、晩年は「万歳ヒットラー・ユーゲント」「ハワイ大海戦」「愛国行進曲」を作詞するなど、次第に時代の波に取り込まれていった。


と結ばれる。しかし、少なくともこの「鉄兜」十一首の白秋は詩人の心を失っていなかったと私には思われる。


(2019.3.5 記)

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