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中垣のとなりの花の散る見てもつらきは春のあらしなりけり

  樋口一葉『一葉歌集』(1912年)


 「中垣のとなりの花」の口語訳を、本書は「垣に咲く隣家の花」としている。生け垣に咲く花のイメージだろうか。しかし、ここは「垣をはさんだ隣家の庭の花」といった辺りが穏当な解釈だと思う。また、春の山おろしに散る花は桜だろう。

中垣のとなりの桜風ふけばこなたに花の散らぬ日ぞなき


というのはたまたまウェブ上で見付けた歌で、明治天皇の御製の由だが、一葉の歌も同様の型をふまえていると見た方がよい。

 さて、この一葉の歌は1895年作。ちょうど日清戦争の折である。詞書に、

丁汝昌が自殺はかたきなれどもいと哀なり、さばかりの豪傑を失ひけんと思ふに、うとましきは戦なり


とある。丁汝昌は清国の艦隊の提督。戦史上有名な黄海海戦を経て降伏、自身は自決した。本書の鑑賞にある通り、歌は敵国の将である丁を「となりの花」に、戦争を「春のあらし」にたとえているのである。この一首を取り上げて、今井恵子は、

 敵将の武勇を讃える気風も一つの型であったかもしれないが、それだけでもなく、開明的な思考が見える。


と述べていた(「一首鑑賞:日々のクオリア」2017年9月30日付)。詞書の結び「うとましきは戦なり」や歌の下句「つらきは春のあらしなりけり」を「開明的」と評したもののようだ。一方、本書は、

 このニュースを聞いて、敵ながら哀れと思ったのだろう。そして、戦争さえなければ死なずに済んだものをという感想を抱いたのである。


とする。報道の影響を重視するのは著者の一貫した姿勢である。巻末の解説でも「「報道」によって歌を読む(ママ)難しさ」に言及している。ただ、この著者はみずからの評価を簡単には与えない。引用文のように単に評価の材料だけを提供することが多く、本書の特色となっている。

 そのことに物足りなさを感じる読者もいるかと思う。しかし、本書は専門家でない読者まで想定したシリーズの一冊だから、あまりに詳細で専門的に過ぎる論証などはなじまない。一般読者に向けて独自の説ばかり並べるわけにもいかないだろう。著者がその制約のもとにあって各作品に評価を下すのに慎重になることは理解できる。

 もっとも、ここでは、当時の報道の傾向と一葉の歌文の内容との比較まで、もう少し踏み込んでもよかったかもしれない。一葉は新聞から戦争の情報を得ていたはずだが、丁汝昌の死を惜しむことには新聞の論調の影響があるのか、ないのか。さらに、戦争を厭う気持ちについてはどうなのか。これらが明らかになれば、著者もさすがに評価の段階に進むことになっただろうし、今井の「開明的」という評言の当否も判断できただろうと思う。

 ところで、著者は「詞書がないと日清戦争の歌だとはわからない」ことを指摘した後、次のような記述で鑑賞を締めくくっている。

 和歌においては、基本的に雅語と呼ばれる言葉しか使うことができなかった。漢語や俗語、外来語などは使うことができず、そのため、時事的な内容を直接詠むには不向きな面があった。こうした制約を外したところに近代短歌が成立するのである。


 その通りだろう。しかし、一葉にとっては「こうした制約を外したところ」に小説があった、と考えてみることもできる。しかも、小説は樋口家の主たる収入源になるかもしれなかったのである。そうだとすると、和歌を近代化する必要性はどこにあっただろう。


(2019.2.16 記)

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コメント
276
「中垣のとなりの花」の解釈、ご指摘の通りですね。調べてみたら同様の歌がたくさんありました。
歌の評価のことはなかなか難しい問題で、読んだ方がそれぞれ考えて下さればいいのかなと思っています。


277
「中垣のとなりの花」の先例、たくさんありましたか。私もちょっと調べたのですが、実は案外見付からなくて、あれーと思っていました。

「読んだ方がそれぞれ考えて下さればいいのかなと」、そうですね。語り残すことも文章技術だと思います。ただ、歌に対する松村さんの評価は、この本をよくよく読むとそこここにあるという気もしています。

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