最新の頁   »   アンソロジー  »  松村正直『戦争の歌』を読む(2)選歌の基準その2
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 そして、第三の点について。著者は巻末の解説に次のように記している。

 戦後七十年以上が過ぎた今、現在の価値観に基づいて戦前の歌を一方的に断罪することには慎重であるべきだろう。「軍国主義的だから悪い歌」「反戦的だから良い歌」といった捉え方では歌を読んだことにはならない。それは、戦前に「軍国主義的だから良い歌」「反戦的だから悪い歌」とする考えが存在したのと同じことの繰り返しでしかない。


 軍国主義的な歌にもよいものと悪いものがあり、反戦的な歌も同様だと言うのだ。ならば、よい歌の条件は何か。著者はこんなふうに言葉を続ける。

 「戦争の歌」といえども、やはり歌である。あくまで歌は歌として、その時々の作者の心情をどれだけ表現できているか、どれだけ読み手の心を打つ内容があるかといった観点で考えるようにしたい。


 「その時々の作者の心情」をよく表現していて「読み手の心を打つ内容がある」のがよい歌であり、戦争詠もそうした基準で評価したいということだろう。では、本書中に「軍国主義的」でなおかつ「良い歌」の実例は挙がっているだろうか。明快な例歌は挙がっていないように私には思われる。たとえば、日露戦争当時の好戦的な一首、

にくにくしロシヤ夷(えみし)を片なぎに薙ぎて尽さね斬りてつくさね

  伊藤左千夫『左千夫歌集』(1928年)


を採って、著者は次のように述べる。

 歌としては心情をそのまま吐き出したもので、言葉も大袈裟で単純ではあるが、思いの強さと勢いは感じられる。


 これは一見、「その時々の作者の心情」をよく表現した一首として肯定しているようでもある。しかし、その直後には、

 戦場に行って直接取材したわけではないので、その中身はどうしても抽象的で芝居がかったものであるのは否めない。


という否定的な言葉が付け足されている。本当のところ、著者はこの一首を「良い歌」と認定しているわけではないのだ。そういう歌をなぜ採るのだろうか。巻末の解説に見える、

 私たちは歌を通じて歴史を知ることができる。


との一節にその答えはあると思われる。つまり、左千夫の一首のようなものをも採るのは、著者が歌を通じて日本の戦争史を浮かび上がらせようと試みているからなのだ。

 大国ロシアを相手にした戦争に、いかに近代日本が沸き立ち、奮い立ったかがよくわかる歌といってよいだろう。


といった評価の仕方にこそ、本書の選歌の基準は端的に示されている。

 「良い歌」だけを見ていても歴史の全体を知ることはできない。「悪い歌」もまた歴史の一部であるからだ。歌を通じて歴史を浮かび上がらせようとすれば、「良い歌」とは認定しがたいものも選出することになる。短歌史の本なら、そのような歌を引くのも当然だ。しかし、アンソロジーの場合は秀作の集成と一般に考えられているから、本書のような選歌の方針は珍しい。本書を読むときには、著者の好みの歌を気ままに選んで書いた本ではないということを理解しておく必要があるだろう。


(2019.2.11 記)

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