最新の頁   »   アンソロジー  »  松村正直『戦争の歌』を読む(1)選歌の基準その1
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 松村さんの新著(2018年12月)で、笠間書院の「コレクション日本歌人選」の一冊。「日清・日露から太平洋戦争までの代表歌」との副タイトルが付く。このシリーズは一歌人の名をタイトルにする本が大半を占めるが、それらに比べ、歌を選出するのに手間が掛かったに違いない。

 本書の選歌の特色は、主に次の三点だと思う。第一に、大正以前の戦争詠を含めていること。第二に、いわゆる旧派の作も選んでいること。第三に、著者自身がよいとは思っていない歌をもあえて採っており、それが必ずしも有名歌でもないということ。

 まず、第一の点について。従来、昭和の戦争詠はよく取り上げられ、論じられてきた。本書にも入っている、

頑強なる抵抗をせし敵陣に泥にまみれしリーダーがありぬ

  渡辺直己『渡辺直己歌集』(1939年)


遺棄死体数百といひ数千といふいのちをふたつもちしものなし

  土岐善麿『六月』(1940年)


などは有名であり、後者に至っては今なお問題作だ。一方、大正以前の戦争詠にはそのようなものが比較的少なかった。

たたかひは上海に起り居たりけり鳳仙花紅く散りゐたりけり

  斎藤茂吉『赤光』(1913年)


は例外なのである。本書に掲出の五十一首のうち、昭和の作が三十二首。比較すれば大正以前の作はやはり少ないわけだが、それでも十九首は多く採った印象だ。明治大正に手厚いと言ってよいと思う。近代の戦争詠をまとめて読めることはありがたい。それらを俯瞰することによって昭和の有名歌の再評価も可能になるだろうし、戦争観の変遷などもかいま見ることができるだろう。

 次に、第二の点について。日清戦争の頃、新派和歌はまだ黎明期だった。日露戦争のときにはすでに東京新詩社も根岸短歌会も活発に活動していたものの、旧派の歌壇もなお勢力を保っていた。だから、新派だけを見ていては日清・日露戦争の歌を選べないという事情はある。ただ、新派以前の歌をも見ようとする理由はそれだけではないだろう。現代短歌は明治の新派の流れを汲んでいるため、明治以降の短歌の歴史を考える際には、旧派の歌を見ないのがずっと通例だった。ところが、近年、旧派と新派をともに視野に入れようとする短歌史家も現れている。たとえば、本書が参考文献に挙げている松澤俊二『「よむ」ことの近代:和歌・短歌の政治学』青弓社、2014年)などである。本書はそれに近い立場に立つものでもあるのだ。

この髪を染めてもゆかん老が身の残すくなき世のおもひ出に

  下谷老人、『征清歌集』


といった新派以前の歌と並べてみることは、新派の歌の特質、ひいては現代短歌の特質を探るために有効だろう。


(2019.2.10 記)

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