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 川本千栄編「澤辺元一年譜」の1968年の条に、

 前衛短歌の影響が濃厚な高安の歌集『虚像の鳩』が出版され、高安を経由してその影響を受ける。


とある。しかし、「澤辺元一100首選」を見ても、それらしい歌はなかなか見出せない。1992年の第一歌集『晩夏行』の一首だという、

ある日われに天降りしシャイな死神はきっと藤色 髪なびかせて


などは確かに非合理的な内容で、土屋文明調の初期作とは作風が異なる。ただ、前衛短歌かと言われると、それも少し違う気がする。「シャイな」という形容句、髪を「なびかせて」といった表現が幾分通俗的に感じられるのだ。

 「100首選」の中で明らかな前衛風は、私見では次の一首のみ。

モノクロのフィルムに血は黒かりき献血車「昭和」とどまる木陰


 これも『晩夏行』所収の由。名詞が多く、助詞がない下句の文体。結句の体言止め。比喩として深読みを誘ってやまない「献血車」の車名。そこに濃厚に感じられる批評の意識。塚本邦雄に学んだ跡をみとめてよいだろう。

 『塔』同号掲載の吉川宏志のエッセイ「青蟬通信:澤辺元一と「民」」がこの歌に言及している。吉川によれば、初出は『塔』1988年11月号だという。昭和天皇崩御の二ヶ月前である。

 下の句は難解だが、「昭和」という時代とは、若者に血を捧げさせる献血車のようなものだったのではないか、という思いがあるのだろう。昭和が終わる感動を詠んだ歌が沢山作られた中で、この一首には不気味な独特の手ざわりがあった。(吉川)


 献血車「昭和」は人々に血を捧げさせた時代の比喩、ということだろう。的確な解釈だと思う。

 この歌には「不気味な独特の手ざわり」がある、と吉川は記す。私も同じように感じた。では、その不気味さはどこから生まれてくるのか。

 一つは、上句の血の色だろう。献血車を前に、かつて見たモノクロの映画か写真の中の血を連想する、というのがこの歌の基本的な内容だ。作者自身は昭和の戦争を直接体験した世代。それなのに、わざわざモノクロのフィルムを通して過去を振り返っている。その過去と献血車の見える眼前の風景とを明確に区別して表現したかったためでもあろうが、同時にまた血の色に黒を配する効果を計算したためでもあろう。

 そして、不気味さの原因のもう一つは、献血車がいまだ木陰に駐車中との設定。人々に血の供出を求める政治はなおひそかに残存し、機会を窺っている——。その示唆は、なるほど、気味が悪い。

 塚本邦雄や岡井隆をもってしても、昭和の終わりを記念するにふさわしい一首を残すことはできなかった。中央歌壇では無名のままだった歌人に、その一首はあった。そのことを私は記憶しておこう。

 
(2018.11.6 記)

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