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 また、八一に「槻の木」という、1932年執筆の随筆がある。

 もうかれこれ、余つぽどまへのことになるかも知れない。第一学院の講師室の御ひる時、今迄見えなかつた窪田君が忽ち目の前に立ちあらはれて、例のにこやかに
「オイ一つ御願ひがあるのだがね」
 此人から、かう出られると、たいていろくな事で無いから、先づ以つて困りながら聞いて見ると、果せるかな字を書けである。
「頼まれて来たのだが、槻の木といふ三字を、横に書いて見せて貰ひたい」
(略)間もなく其三字を表題に刷つた雑誌が送られて来た。窪田君の家来共の出す雑誌である。(十二巻本『会津八一全集』第七巻、103頁)


 空穂と八一が初対面で歌について論争したのが1925年の4月前後。同じ4月、八一は早稲田大学早稲田高等学院教授に就任。7月以降に「孤雲還」の額が空穂宅に入り、その書をおもしろく思った空穂が「槻の木」の題字を書くのを八一に依頼した、という流れだろう。表紙に八一の字を得た『槻の木』の創刊は翌26年2月である。空穂は八一の才能を認め、八一は年長で学芸に通じた空穂に八一なりの心配りを示した。八一の随筆からは、二人のそんな関係が窺われる。

 八一の没後に、空穂は次のように回想している。

 同君長逝まで廿数年に亘る親交であつた。親交というのは、会心という意味で、双方安心して、心中に思つていることを何でも話し合える交りだつたのである。その間私達は、一度も厭やな思いをしたことはなかつた。互いに気ごころをのみ込み合つていたから、おのずから限界を守り合えたからである。(「秋草道人の思い出の一部」、九巻本『会津八一全集』附録第七号、1959年4月)


 「何でも話し合える交り」とは言うものの、全てに気を許し合う親友というわけでもない。「おのずから限界を守り合えた」といった辺りに大家同士の関係の取り方をかいま見ることができる。しかし、また、空穂は次のようにも書いている。

 会津君はおりおり私の住宅を訪うてくれた。(略)長座となり、飯時となると、
「おれにはもり蕎麦二つ」というのであつた。そして、「それが一番良い」と云い添えもした。
 このように云うと、会津君という人は、いかにも無遠慮な、何もかまわない人であるかのように見えようが、これは同君の演出で、内実は反対に、細心な用意を持つてのことなのである。それは同君自身、後日、つくづく述懐したので知られる。
「君、何が面倒だつて、知人の家へ、ふらりと尋ねたという恰好で尋ねるくらい面倒なことは無いねえ」(同)


 これを見ると、空穂が八一のよき理解者であったことは間違いない。八一は付き合う相手としては相当に面倒くさそうな性格の持ち主だったが、生涯にわたって師や先輩、友人、門弟に恵まれた。人を引き付ける本質的な個性を八一が持っていたということだろう。もう一つ、二人に関して、私の好きなエピソード。

 「槻の木」の新刊紹介欄で、空穂先生が秋艸道人と小杉放庵の歌集について書かれたことがある。共に原稿紙半ピラで三枚までの短いものだったが、それを秋艸道人は、来訪の学生たちの前で読み、両方の行数を数えて、俺の方が何行沢山書いてある、それに俺の方が先になっている、小杉放庵より俺の方がいいんだ、といって喜んだそうである。ぼくは秋艸堂へは行かないから、この話も、行ったものが空穂先生に報告しているのを聞いたのだが、その時先生が「子供みたいだ」と笑っていられたのを憶えている。(山崎剛平『老作家の印象』238-239頁)


 空穂の文章とは、『槻の木』1934年3月号掲載の〈新刊の二歌集:「南京余唱と放庵歌集」〉。この話がなぜ好きかというと、空穂のことを八一が内心信頼していたことが分かるし、空穂がその信頼に気付いていたらしいことも分かって、楽しい気分になるからだ。


(2018.9.29 記)

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