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 ところで、八一の「私も何か大いに論じたやうに覚えてゐるが、何をいつたか忘れてしまつた」という言葉はいやにアッサリとしているが、そこは八一のこと。「大いに論じた」というのは、つまり大声で激しく自説を主張したということにほかならない。植田前掲書に

 これはもうほんとうに会津伝説となってしまったことであるが、ある日、道人は山口剛の家にぶらりと遊びにいった。放談数時間おれが万葉集の講義をすれば日本で最高だなどと熱を吐いているところへ、窪田空穂が遊びにきて、歌について大激論を行なったらしい。延々数時間に及ぶ大論戦であった。空穂の弟子の山崎剛平が訪ねると、「今、会津八一と論争をしているが、どうもわしの方が歩がありそうだ。あと十五分もすれば、帰宅するから家で待っていよ」といって二階へ上がっていった。やがて、二人の大声がさかんにきこえてきたという。(365頁)


などとあって、植田は特に注記も付けていないが、これは八一の随筆と同じ出来事を伝えているのだろう。


(2018.9.17 記)

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