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 というのも、村崎の文では空穂と八一がいかにも親しげに感じられる。しかし、八一本人の言によれば、二人は『南京新唱』刊行後に初めて顔を合わせたのだ。八一の随筆「凝つた小冊子」は『南京新唱』にまつわる思い出を記したものだが、そこにこうある。

 私はその頃まだ窪田空穂君と知り合つてゐなかつた。ある日山口剛君の宅で初めて会つた。そのまへに一冊寄贈しておいたので、自然その話になると、窪田君は改まつて、どうも私の歌が面白くない。つまりたいへん下手な歌だと批評してくれた。なるほど窪田君あたりから見たらそんなものであつたのであらう。しかし私も何か大いに論じたやうに覚えてゐるが、何をいつたか忘れてしまつた。するとそれから十日も経たないうちに相馬御風君が『早稲田文学』で、それから思ひもかけぬ斎藤茂吉氏が『女性』といふ雑誌でだいぶ褒めてをられたのを、わざわざ持つて来て見せてくれた人がある。(十二巻本『会津八一全集』巻七、中央公論社、1982年、156頁)



 御風「砂上漫筆:此の一篇を『南京新唱』の作者におくる」を掲載する『早稲田文学』は1925年4月1日発行、茂吉「痴人の痴語」を掲載する『女性』も同月同日発行である。したがって、『南京新唱』刊行の翌年、1925年の3月か4月のことだったのだろう。当時、空穂と山口の家は雑司ヶ谷で隣同士で、この二人も親しく交流していた。それで、山口宅で空穂と八一が初対面という次第になった。廓言葉の話は、おそらくその席上で空穂に披露された。それが後年になって村崎に伝わり、ああいった書き方になったものだろう。


(2018.9.16 記)

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