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 『現代短歌新聞』78号(9月5日付)の感想の二つ目。瀬戸夏子「デザインの書」について。

 手に取る雑誌などに瀬戸夏子の文章があれば、喜んで読むのが近ごろの私だ。文中に必ず何かの主張があり、しかもその主張に借り物っぽさがないので、読んでいてまず単純におもしろい。行儀の良さ、悪さのバランスも取れている。俗な言い方をすれば短歌の世界にはあまり見かけない、お金の取れる文章だと思う。

 これは加藤治郎の最新歌集『Confusion』のブックレビュー。しかし、今どきの歌集評には珍しく、一首の歌も引用しない。もちろん、意図してそうしたのものだろう。瀬戸は、

 みずからが選ぶレイアウト(引用者注—たとえば、どこで改行するか)そのものが、詩が詩である所以を露呈してしまうのが現代詩である……


と規定した上で、現代詩よりも「加藤の短歌のほうが圧倒的にプレーンなテキストだ」とする。そして、それゆえに「いぬのせなか座」によるブックデザインが映えるのだという。加藤のテキストは何だが、「いぬのせなか座」のデザインはよい……と言っているようにも見える。たぶんこれは辛口というか、悪口なのだが、適度にぼかしが入っているので、読んだ後味はそれほど悪くならない。

 さて、この歌集は、詩人野村喜和夫との対談「詩型融合のクロニクル」が全体の三分の一以上の頁を占める。巻末には「詩型融合」の年表まで付いていて、そこには与謝野鉄幹『東西南北』(1896年)から江田浩司『想像は私のフィギュールに意匠の傷をつける』(2016年)に至る四十四点の本が記載されている。そして、タイトルは融合をひっくり返した「混乱」。ところが瀬戸は、

 この本は《詩型融合》の書ではない、というのが私の認識だ。


という。「加藤の念頭に置かれている相手は現代詩」だが、加藤の短歌は「プレーンなテキスト」であり、

 現代詩の生命線であるレイアウトに、加藤は参加していない。


というのが理由だ。ここは断言調で、爽快。ただ、断言の内容には疑問が残った。「詩型融合」の定義を加藤は、こう明示している。

 1冊の著作/作品に、複数の詩型を融合。(132頁)


 かつ、詩型としては音数律詩・自由詩・短歌・長歌・旋頭歌・俳句に加え、散文・挿絵・講演録までを挙げる。この定義によれば、短歌のほかに俳句・エッセイ・時評・対談の記録まで含む『Confusion』は明らかに「詩型融合」の範疇に入るだろう。

 瀬戸は加藤とは異なる「詩型融合」の定義を立てて、加藤の歌集はそれに当てはまらないと主張しているように思われる。そうだとすれば、それは瀬戸自身以外には関心の持ちにくい話題だ。

 また、別の疑問もある。仮に瀬戸の定義に従うとしても、『Confusion』は「詩型融合」の範疇に入ってしまうのではないか。短歌・俳句・散文の混在はただそれだけでも——つまり「いぬのせなか座」によるレイアウトが無かったとしても——、それ自体がレイアウトの結果ということになるのではないのか。
 

(2018.9.3 記)

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