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 『現代短歌新聞』78号(2018年9月5日付)を一見しての感想をいくつか。まず大井学「浜田到の百年」について。

 浜田到生誕百年だという。没後も作品が読み継がれる歌人は多くない。到の作品にそれだけの力があるということ、そして到に言及し続けた人たちの言葉に力があったということだろう。

 これは『浜田到:歌と詩の生涯』(角川書店、2007年)の著者が到を紹介する記事。塚本邦雄の「多様な喩法による歌の拡張」と到の詩性は「相似であっても、相同ではない」とした上で、

 塚本、浜田から時代を経た現在において、両者を統合した方法論が受容、展開されているようにも思われる。


と述べ、現代の若手歌人の作二首、

すいみんと死とのあはひに羽化の蟬。翅のみどりに透いてあるはも
  吉田隼人


わが生まぬ少女薔薇園を駆けゆけりこの世の薔薇の棘鋭からむに
  睦月都


を挙げているところに興味を引かれた(私は現代短歌の知識がないので、この二首の出典がわからない。大井の文章からの孫引きです)。「すいみんと死とのあはひに」「わが生まぬ少女薔薇園を」といった世界の把握の仕方、あるいは世界の作り方がどこか浜田到に似ている気がする。しかし、では具体的にどこが似ているのかというと、私には説明できない。大井のもっと詳しい解説を読みたいと思った。


(2018.9.2 記)


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