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 『短歌往来』7月号掲載の田中教子「短歌と修辞の本来の関係」が土屋文明の高名な一首、

小工場に酸素熔接のひらめき立ち砂町四十町夜ならむとす
  (『山谷集』1935年)


を引き、

 「小工場」「溶接」のウの連続、「立ち」「砂町」の「chi」の連続から、さらに近似の「四十町」の「chyo」へ伸びて調べを形成している。これは隠れた修辞と言える。


と記しているのは穏当な指摘だと思う。しかし、

 この歌は、近代科学の発達から機械化の進む町と、人の営みを壮大なアングルから捉え、今しも夕闇の手が砂町の四十町めに届いたことをあらわしている。アングルと四十町という具体に感銘がある。


としているところはよく理解できなかった。「壮大なアングル」というほど、これは壮大な景色の表現だろうか。

 小市巳世司もかつて「上句の鮮明な微視的な影像と、それを包み込む下句の巨視的な大らかな影像」と発言していた(「土屋文明短歌研究」12、『アララギ』1996年10月)。「微視的」も「巨視的」も「壮大」も大仰に過ぎるように、私には思われる。

 「四十町という具体」なる評言も難解だ。実在する町に取材しているのだから「具体」には違いないが、ことさらに「四十町」の語を抜き出してそのように言う理由が分からない。

 もし私の勘違いだったら申し訳ないことだが、ひょっとして田中は江戸八百八町というのと同じように、「四十町」を多数の街路くらいに解しているのではないか。「砂町の四十町め」の「め」も衍字のようで衍字でなく、実は四十番目の街路というほどの意味で使っているのではないか。それなら、「壮大」の一語も腑に落ちる。

 ただ、もちろん「四十町」はそんな意味の言葉ではない。それは砂町の大字の名に過ぎない。しかし、少し調べてみて、気が付いた。先行研究も案外この「四十町」の考証に手を付けていないようなのだ。


(つづく)


(2018.7.27 記)


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