最新の頁   »   短歌一般  »  シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 その五
RSSフィード iGoogleに追加 MyYahooに追加
(意義)

 思うに従来、歌人や歌の愛好者は漠然とニューウェーブ幻想のようなものを抱いていた。千葉聡は東直子・紀野恵・山崎郁子・早坂類を「ニューウェーブに近い存在」と見ていたと述べていたし、東本人はニューウェーブを一時代の「全体運動」のように捉えていたと語った。

 今回のシンポジウムの最大の意義は、その幻想を粉砕したことだ。登壇した四人は、東や千葉のようなニューウェーブ観を異口同音に否定した。加藤や穂村、荻原は彼らに西田を加えた四人だけがニューウェーブだと強調し、西田に至っては自身がニューウェーブの一員であるということも否定した。

 そうした発言に対する戸惑いを、嶋田さくらこの次のツイートは端的に示している。

180610.jpeg

 一般に集会の規模は大きいことが喜ばれ、同志の人数は多いことが望まれる。ニューウェーブは「大きい潮流」で、多くの歌人を集めていた、と信じたい人が当日の会場のあちこちにいたようだ。東は自分の名が関連年表に載らなかったことに、遠慮がちながら異議を唱えた。シンポジウムの終了後、千葉は

 私は短歌ニューウェーブという流れには魅力があり、多くの人をひきつけてきたので、歌人を限定しすぎずに、「新しい方向をみんなで見つけていこう。志ある人はみなニューウェーブだ」くらい言っていただきたかったです。


と言い、秋月祐一も

 ニューウェーブとは荻原裕幸・加藤治郎・穂村弘・西田政史の4名のことという認識の上で、同世代の女性歌人や、後続の歌人を含めた「ニューウェーブ世代」という視点を提示できたら、さらによかったのではないかしら。


とつぶやいた(ともにツイッターでの発言)。

 会場の期待を受け入れる方が楽であるし、いくらかでも受け入れた方が和やかな祝宴になる。そして、四人がその会場の期待に気付かなかったはずはない。ところが、彼らは聴衆に迎合するそぶりも見せなかった。その点では四人は見事に一致しており、まるで事前に打ち合わせていたかのようだった。

 しかも、それだけではない。彼らは「現象」「偶然性」といった言葉を使い、彼ら自身にも一派としての自覚がなかったこと、一派であるかのように見られたのでそれを自身の活動に利用したということまでも告白した。

 ニューウェーブのブランド価値は、この「30年」の間に、短歌の世界で確固たるものになっていたはずだ。それを維持してゆくことができれば、今後も彼らの活動の場は一応保証される。しかし、彼らは自分たちのブランドを無難に守ろうとはしなかった。

 現に活動し続け、変化し続ける歌人としての誇りを、私はそこに見たような気がする。昨年西田の第二歌集『スウィート・ホーム』が第一歌集以来二十数年の空白期間を経て出版され、この五月には加藤の意欲的な新歌集『Confusion』、穂村の十七年振りの単行歌集『水中翼船炎上中』も出た。なるほど、彼らは現代の歌人だ。


(つづく)


(2018.6.10 記)
関連記事
NEXT Entry
シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 その六
NEW Topics
島成郎:松村正直『高安国世の手紙』覚書
シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 補遺その三
シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 補遺その二
シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 補遺その一
シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 その六
シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 その五
シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 その四
シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 その三
シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 その二
シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 その一
コメント
Trackback
コメントを書く
 管理者にだけ表示を許可する
ブログ内検索
和爾猫より

和爾猫

Author:和爾猫
-
主に近現代の短歌について調べています。
同じ趣味の方がいらしたらうれしいです。

情報のご教示などいただけたら、
さらにうれしいです!

検索フォーム
最新トラックバック
QRコード
QR

CALENDaR 12345678910111213141516171819202122232425262728293031