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(内容4)

 ニューウェーブに女性歌人は含まれない、と荻原が明言した。

 順序としては集団性に関する穂村発言より前で、これが当日の山場を準備するもう一つの導火線になった。具体的にはこうだ。事前に千葉聡が次のような質問を出していた。

 ニューウェーブというと、男性歌人四人の名前があがりますが、女性歌人で、同じように論じられる人はいませんか。

 私は林あまりさん、東直子さん、紀野恵さん、山崎郁子さん、早坂類さんを、ニューウェーブに近い存在として読んできました。


 大井の質問と同様に、この質問も参加の申し込みをした者に一斉にメールで送られていたものだ。私もシンポジウム以前に知っていて、おもしろい視点だと思っていた。だから、シンポジウムでの荻原の司会の仕方はやや意外に感じた。

 荻原 論じられてきていないので、いません! 女性歌人がなぜニューウェーブの中で語られないか、っていう話はまたちょっと別ですので、これは今日の論旨の中ではちょっと無茶だと思いますね。千葉さんが名前を挙げた女性歌人は、それぞれライトバースだとか口語の表現だとかの切り口で加藤さんや穂村さんと並べて論じることができると思いますが、ニューウェーブという括りはまた別なので、これはちょっと、無茶ですね♡ はい、次の質問、行きます!


などと言って、他の三人に話を振らないまま、次の話題に移ってしまったのだ。「!」や「♡」はもちろん私の主観的な受け取り方に過ぎない。でも、本当にそんなふうに聞こえたよ。

 荻原の発言の主旨は、これまで実際に女性歌人の誰もニューウェーブの一員として論じられてこなかった、その歴史を変えることはできない、ということなのだろう。

 それは必ずしも正確な歴史認識とは言えなかったかもしれない。1998年刊行の『新星十人』(立風書房)という合同歌集は、副題が「現代短歌ニューウェイブ」であるにも関わらず、著者欄に荻原・加藤・穂村と並んで紀野恵や林あまり、さらには坂井修一・辰巳泰子・水原紫苑・吉川宏志・米川千嘉子までが名を連ねていた。また、「歌の葉」では「ニューウェーブ」の名を冠して、もろもろの活動が行われていたのではなかったか。そうであるなら、「歌の葉」が発掘した新人も広義のニューウェーブではないのか。

「論じられてきていない」ことを実証するには、「ニューウェーブ」という言葉の用例を調べる必要があるのだろう。また、90年代中期までの現象としてのニューウェーブと90年代末からの運動としてのニューウェーブを分けて考える方がよいのかもしれない。

 そのことを確認した上で荻原を擁護すれば、90年代半ばに林や紀野、早坂類、東直子、山崎郁子がニューウェーブの一員とは見なされていなかったというのは、実感としてうなずけるところがある。私は当時、すでに『短歌』や『短歌研究』を買って読んでいたが、それらの歌人が誌上で取り立てて話題になっていたという記憶がない。対して西田の

シーソーをまたいでしかも片仮名で話すお前は——ボクデスヲハリ

(『ストロベリー・カレンダー』1993年)


などは紛れもない問題作として扱われていた。『短歌研究』の座談会だったか、年長の歌人から西田の歌について問われた穂村が「自分も分からない」と答えていたことを覚えている。


(内容5)

 いよいよ山場だ。ニューウェーブは今回登壇した四人だけだと加藤が主張し、穂村もそれを認めた。西田は何も発言しなかった。

 詳細はこうだ。前の記事にも引いた穂村のこの言葉、

 穂村 彼女は別に僕ら個々を否定してるわけじゃなくて、ニューウェーブっていう集団制が多分嫌なんだと思うんだよね。


を受けて、荻原が次のようなことを言った。

 荻原 語弊があるかもしれないですけれど、常にそういう集団性は、短歌史的には男性の歌人のものなんですよね。千葉さんの質問に「女性歌人は?」とありましたけれども、ニューウェーブという括りをした瞬間に女性歌人は排除されるようなところがあって、だから語れないんだし、そもそもそういう文学運動と相性が……


 これに対して穂村は「この人たちが五人で並んでるところ、想像できないもんね」と応じ、半ば肯定した。「この人たち」とは、千葉が挙げていた五人。

 ここでのやりとりには注目すべき点がいくつかあるが、まずは先を急ごう。ここからだ、予想を超える急展開になったのは。ニューウェーブに女性歌人はいないと断言し、加藤や穂村、西田に一言のコメントすら求めなかった荻原が、どういう思い付きか、聴衆の側にいた東直子に発言を促したのだ。これこそライブの醍醐味だった。

 そして、東は期待を裏切らなかった。

  自分はニューウェーブには入らないだろうと思ってはいたんですけど、配付資料の「ニューウェーブ関連年表」に自分の名前が入っていないのを見て、ちょっと外されたかな、と正直感じたところがあるんです。ニューウェーブという短歌史の認識に対しては、なんで林あまりさんとか早坂類さんとか、私の好きな干場しおりさんとかが議論の俎上に上がってこないのか、疑問に思って、千葉さんの質問に共感して聴いていたんですけど、サラッと荻原さんに流されてしまって、あれ?と思ったのは私一人ではないと思います。加藤さん、穂村さん、西田さんにその辺のことを一言ずつでも聞けたらと思うんですが。(会場拍手)


 幾分長い発言だったのですべてを聴き取り、書き取ることはできなかったが、要旨はこれで間違いないと思う。また書き取った言葉については、細かな言い回しも大体こんな感じだったと思う。


(つづく)


(2018.6.5 記)

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