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 日米開戦前夜、歌人の「ブラックリスト」なるものが存在した、という話がある。軍が「プロレタリア」短歌のメンバーや「芸術至上主義的な思想」を持つ歌人の動向を注視し、「黒点印」付きの歌人リストを作成していた、というのである。

 斎藤瀏の戦後の随想(「回想:歌人協会解散の経緯」、『短歌研究』1950年5月)によれば、1940(昭和15)年以前に知人の憲兵司令官からそのような軍の情勢を知らされ、リストについては「或る所で親しく視た」、という。また、作家の中河与一が同じ軍の情報を得ていた、ともいう。

 1940年11月6日に開かれた大日本歌人協会の臨時総会で、瀏と太田水穂がこのリストの存在をほのめかし、歌壇の組織を時局に合わせて刷新するということを理由に、協会の解散を主張した。そして、この主張が通って、協会は解散した。瀏には、歌壇が自主的に軍に恭順の姿勢を見せることにより歌人の検束を回避するねらいがあったともいう。しかし、他の多くの歌人からすれば、この一件は瀏らが軍と通じて歌壇の組織と思想を思うがままに統制しようとし、歌壇がそれに屈したものだった。後年の短歌史家もまた、これを短歌史上の汚点と評した。


     §


 さて、問題のリストのことである。戦後の研究者はリストの原本も写しも実見できておらず、その存在の真偽を確認できていない、と私は思っていた。たとえば、三枝昂之『昭和短歌の精神史』(本阿弥書店、2005年)は、1941年春に「文士のブラックリスト」の写しを見た、という中島健蔵の言葉(『昭和時代』岩波書店、1957年)も引きつつ、

 ……どうやらその種の名簿は存在していた。(104頁)


としている。つまり、三枝自身はリストを見ておらず、他の研究者の報告にも接していないのである。

 だから、『現代短歌』7月号の篠弘の発言(「平和と戦争のはざまで歌う:戦時下の歌人の良心とは何か」、当ブログの先月の記事参照)に、私は驚いた。

 ……ブラックリストが本当にあったかどうかという点ですが、実際あったらしいんだね。それも意外な人たちがマークされていた。
 これは確信をもって言うんだけど、渡辺順三や坪野哲久ら「短歌評論」のメンバーがすぐに検挙されたりするから、そういう人たちがブラックリストに載っているのかと思うと、それは決まりきったこととしてあえてブラックリストに載せてはいなかったわけね。
 載っていたのは誰かというと、北原白秋とか前川佐美雄とか。つまりモダニズム。


 「あったらしい」とか「確信をもって言うんだけど」とかいった言い方から考えると、篠もリストの原本に近いものを見たわけではないようだ。しかし、リストに渡辺順三・坪野哲久といったプロレタリア系が載らず、北原白秋・前川佐美雄などのモダニズム系が載っている、というのは瀏の証言内容とも幾分異なる具体的な情報であり、何らかの根拠に基づく発言だと思わせる。


(続く)

(2017.8.11 記)

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