最新の頁   »   短歌一般  »  『現代短歌』2017年7月号:篠弘と吉川宏志の対話(3)
RSSフィード iGoogleに追加 MyYahooに追加
 この対談中で気になったこと、一つ。二・二六事件のときには言論統制は強くなかったという意味のことを篠弘が言い、吉川宏志もそれにとくに異論は述べていない。日中戦争の開戦以後に比べれば相対的に——ということかもしれないが、それにしても本当にそうだったのだろうか。

 篠はまず『アララギ』1936年4月号に載っている土屋文明の文章を引く。

 我々は国民の一人として、又社会の一員として、この度の如き重大事に関心を持たないわけにはいかないし、又持つべきものであると思ふが、本誌は時事を論ずることの出来ない出版法に依る雑誌であるから、此の度の事件を直接扱つて、時事の論評に亙るやうな作品は遺憾ながら掲載することが出来ない。(「編輯所便」)


 これに対する二人の発言は以下の通り。

吉川 時局を論ずることができないくらい、出版法が強かったんですかね、当時は。
 いや、昭和初期に出版法はできてますが、この時期はまだそんなに強くなかったと思うんですね。十三年に日中戦争が始まると、いっそう出版に対する言論弾圧とか事前検閲とかが出てきますが、二・二六は前の年でしょう。


 出版法制定は1893(明治26)年なので、「昭和初期に出版法はできてますが」というのは正確でない。それはともかく、文明の真意は言論統制への対処の仕方といったところにはない、と篠は考えているのである。では、その真意はどこにあるというのか。篠はこんなふうに説明する。

 二・二六事件に対してアララギの会員が歌を出しますよね。思いつきだけのろくでもない歌、新聞やラジオからの限られた範囲の情報で作るわけでしょう、どうせ時代の本質を突くわけじゃなし、愚にもつかない歌がドッと出てくるんじゃないかと。(略)会員には安直に作るなと戒めた。


 なるほど、そういうことなら、いかにも文明らしい指導ではある。しかし、そういうことだったのだろうか。

 二・二六事件関連の言説に対する統制が「強くなかった」というのは、事実認識として間違っていると私は思う。田中綾『権力と抒情詩』(2001年)はすでに次のように指摘していた。

 「二・二六事件」に関連して、出版法雑誌である歌誌にも〈発禁〉処分が及んでいた。杉浦翠子主宰の「短歌至上主義」六月号や、前川佐美雄主宰の「日本歌人」九月号、また、この年の年鑑『短歌年鑑 第一輯』(柳田新太郎編)では、事件に関するかなりの数の作品が「削除」されたと後記で伝えている。
 事件後の七月、特高警察の拡張によって各警察署に特高係が置かれるようになり、そして「内閣情報委員会」も設置されるなど、言論統制はさらに強化されることになった。従来の言論統制史研究では、日本の言論・出版統制の画期を「支那事変開始時点」に置いているのだが、私は、「二・二六事件」直後こそ言論統制史上重要な転換期だと考えている。(32〜33頁)


 田中は『日本歌人』を出版法による雑誌に含めているが、後述の佐美雄の書簡によれば同誌は新聞紙法による雑誌、つまり保証金をその筋に納める代わりに時事に関する記事等を掲載できる雑誌、であったようだ。短歌雑誌はどれも出版法に拠っているというのが田中の見立てのようだが、必ずしもそうではないらしいことに注意しておこう。

 ともかく、複数の短歌雑誌が発売禁止処分になったという事実を前にして、言論統制が「強くなかった」とは言えないだろう。『日本歌人』1936年9月号の発禁処分については、荒波力『よみがえる"万葉歌人"明石海人』(新潮社、2000年)が詳しく言及している。それによれば、処分の理由になったのは主に明石海人の次の二首であったという。

  二・二六事件
叛乱罪死刑宣告十五名日出づる国の今朝のニュースだ
死をもつて行ふものを易々と功利の輩があげつらひする


 二首ともに犯罪を「曲庇」し犯罪人を「賞恤」していると判断されたのだろう。新聞紙法第二十一条違反である。荒波の新著『幾夜の底より:評伝・明石海人』(白水社、2016年)は、当時佐美雄から海人に宛てた書簡(1936年11月28日付)の全文を紹介している。これを見ると、処分の具体的内容とそこに至る過程がよく分かる。一部を引こう。

 発禁の件に就いてですが、これは申上げぬつもりでゐましたが、問題が却々解決せず、たうたう罰金刑といふ事に決定しさうです。平田伯をはじめ、知りあひの弁護士や、又、もとの奈良県知事などにも運動もしてもらひましたが、内務省からの通達なので如何ともならず、結局、警察に三回、前の特高課に二度、検事局に二度、呼ばれて、正式の命令は来月上旬下る事になりました。罰金の方はずゐぶん同情して低くしてくれましたが、結局、前科一犯といふ事になつて、どうもこれには困つてゐます。(略)とにかく新聞紙法によつたものであり、殊に最近は変に神経が過敏なので、こんな事になつたのです。(256頁)


 新聞紙法第二十一条に違反した場合、編輯人が禁固刑か罰金刑に処せられるが、『日本歌人』編輯兼発行人である佐美雄は罰金刑であった。当局に何度となく呼び出された上に前科一犯となるのであるから、編輯人の負担は重く、その後の雑誌編輯に重大な影響を及ぼした。その痕跡は『日本歌人』誌上に明確な形で残っている。佐美雄は9月号発禁以前には、

 二月二十六日の大事件(略)に関しては、今は批評も何も出来ない。それらを歌つた作品さへ余り露はなものは載せられないのを遺憾とする。(「四月号後記」、『日本歌人』1936年4月号)


と書いていた。すでに言論統制の効果がみとめられるが、「それらを歌つた作品さへ余り露はなものは載せられない」というところは、直接的表現でない歌ならば掲載可能と見ていた、とも読める。ところが、発禁処分の直後には、

 今後は政治や、或ひは例へば二・二六事件に関したやうな種類のものは絶対に投稿を遠慮して貰ひたい。歌として、どんなに価値があらうとも一切抹殺する方針である。人情にほだされるとつひ採りたくないものも採るやうになるがあれは私としてよくない事であつたと思ふ。(「十月号後記」、『日本歌人』1936年10月号)


と書いている。「絶対に投稿を遠慮して貰ひたい」ということに変化したわけである。

 さて、先の文明の引用文に戻ろう。文明の真意がどこにあったかということだが、「此の度の事件を直接扱つて、時事の論評に亙るやうな作品は遺憾ながら掲載することが出来ない」という言葉はそのまま素直に受け取ってよいと私は思う。『短歌至上主義』『日本歌人』の処分前に書いた文章ではあるが、歌壇随一の有名雑誌の編輯兼発行者たる文明が当局の方針に無知であったはずがない。会員向けの方便と解する篠説は修正の余地がある。

 なお、篠が実見した情報局作成のブラックリストに佐美雄の名が載っていた、という話を前の記事で取り上げた。篠は「びっくりした」とのことだが、『日本歌人』が発禁処分を受けていたことを考えれば、その編輯人のリスト入りはさほど不思議でもないだろう。


(2017.7.10 記)


関連記事
NEXT Entry
『現代短歌』2017年7月号:篠弘と吉川宏志の対話(4)
NEW Topics
島成郎:松村正直『高安国世の手紙』覚書
シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 補遺その三
シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 補遺その二
シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 補遺その一
シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 その六
シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 その五
シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 その四
シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 その三
シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 その二
シンポジウム「ニューウェーブ30年」覚書 その一
コメント
Trackback
コメントを書く
 管理者にだけ表示を許可する
ブログ内検索
和爾猫より

和爾猫

Author:和爾猫
-
主に近現代の短歌について調べています。
同じ趣味の方がいらしたらうれしいです。

情報のご教示などいただけたら、
さらにうれしいです!

検索フォーム
最新トラックバック
QRコード
QR

CALENDaR 12345678910111213141516171819202122232425262728293031