最新の頁   »   短歌一般  »  小池光『石川啄木の百首』覚書(3)
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小奴(こやつこ)といひし女の
やはらかき
耳朶
(みみたぼ)なども忘れがたかり


 この一首について、小池は次のように解する。

 その耳たぶを噛んだのであろう。(103頁)


 しかし、そうとも限らないように思う。実際、次に引くように、別の見方を示す研究者もいる。

 酒の席ゆえに、たわむれに小奴という芸妓の耳たぶにふれたことがあるのである。その柔らかい感触が忘れられない、というのだ。(木股知史註。和歌文学大系『一握の砂/黄昏に/収穫』明治書院、2004年)


 「耳朶」からただちに「噛む」動作を連想する小池は、何かその手の本から知識を得た少年のようで、可笑しい。

つくづくと手をながめつつ
おもひ出でぬ
キスが上手の女なりしが


 この歌に対しては、

 キスという行為にもまた上手、下手がある。たしかにそうであろうが、こんなことをふつうは歌にしない。(111頁)


と評する。「キスという行為にもまた上手、下手がある」という言い方がいやに大仰だ。そんな当たり前すぎることを「ふつうは文章にしない」。ここにも、まるで童貞のように初々しい著者がいる。

 啄木の歌は、こういった大仰さとは無縁だ。その道は、年齢とは関係がないのだろう。


(2017.6.26 記)

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コメント
207
「耳たぶを噛んだ」説は僕には新鮮でした。
この本のなかで一番印象に残っています。

210
一番ですか! そのあたり、やはり、人それぞれなんですね。私は、「耳たぶを噛む」って何かハウツー本のような発想だなと感じて、笑っちゃったんです。

私は啄木の研究史に暗いので、新説への感度が低いのかも知れません。

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