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人妻のすこし汗ばみ乳をしぼる硝子杯(コツプ)のふちのなつかしきかな


 『桐の花』のなかでもとりわけよく知られた一首。今西の解釈は、

 人妻が少し汗ばんで張った乳を搾っている。その乳が垂れるコップの淵の懐かしいことよ。若い人妻のもつ健康的な色気、官能性を伝える。(81頁)


というもので、「淵」は校正ミスだろう。それはともかく、ここでは「なつかしき」を元々の意味で取っているのか、新しい方の意味で取っているのか、いま一つ判然としない。あるいは解釈を保留にしたということか。

 では、他の研究者や批評家の読み方はどうだろう。菱川善夫『歌の海』は、

 汗ばむ乳房と、ひやりとしたコップのふちの輝き。歓楽の中にさしこむ哀愁は、コップのふちの思出によって鋭角的に磨かれた。(『菱川善夫著作集』1、沖積社、2005年、44頁)


 「コップのふちの思出」とあるところから、「なつかしき」を新しい方の意味、つまり「過去が思い出されて慕わしい」の意味に取っていたことが分かる。また、高野公彦の解釈は、

 乳首から走り出る母乳がコップのふちを濡らすのを見ながら、「なつかしきかな」と表現したのは、乳母に育てられた自分の幼児期を思い出しているのかもしれない。(『名歌名句大事典』明治書院、2012年、540頁)


 「自分の幼児期を思い出して」云々とあり、やはり「なつかしき」を新しい方の意味で取っている。

 しかし、菱川も高野も深読みし過ぎた、と私には思われる。掲出歌の第四句までを見ると、回想の文脈や過去・現在の対照の文脈を形作るような語句は一切無い。このような場合、結句の一語「なつかしき」は元々の意味、つまりただ「〜に心が引かれる」というような意味で解するのが穏当だろう。

 「われ」は女の乳房がコップのふちに触れる光景を目にしつつ、生々しく乳房の感触を想像し、またガラスの感触をも想像した。「われ」の意識はガラスに同化しようとし、また逆に女の皮膚感覚にも同化して「なつかしきかな」の詠嘆になった、と私は読む。


(2017.6.6 記)

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