最新の頁   »   短歌一般  »  ナツカシの意味:北原白秋『桐の花』(1)
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 今西幹一による『桐の花』の註釈(和歌文学大系29『桐の花/酒ほがひ』明治書院、1998年)は、ナツカシの意味を判別しているところが私にはおもしろかった。いくつか例を挙げよう。

一匙のココアのにほひなつかしく訪ふ身とは知らしたまはじ


 歌集の初めの方に出てくる一首だが、今西の解釈は「以前ご馳走になった(相伴にあずかった)いっぱいのココアの匂いを懐かしんであなたをお訪ねしたわが身とはまさかにご存じではないでしょう」(20頁)。これはつまり、「なつかしく」を新しい方の意味で取っているのである。なるほど。

 その二首後にあるのが、

薄あかき爪のうるみにひとしづく落ちしミルクもなつかしと見ぬ


 今西の解釈は「薄く赤みを帯び、しっとりとしたあなたの爪に、ひと滴落ちたミルクにも心惹かれることよ」である(20頁)。「一匙のココア」の歌のすぐ後で、「なつかし」も同様に新しい方の意味で使いそうなところ。それを元々の意味で取るわけだ。

 仮に新しい方の意味だとすると、手の爪の上にミルクが一滴落ちるような場面が以前にあって、それと似た場面が今また繰り返されていることになる。しかし、こんな偶然はちょっと不自然だろう。今西の読み方は的確だと思う。

なつかしき七月二日しみじみとメスのわが背に触れしその夏


 「明治四十四年の夏、蠣殼町の岩佐病院にて」という詞書の付く連作「昼の鈴虫」の冒頭一首。今西は「冷ややかなメスの感触もいまとなっては懐かしまれるのである」とする(85頁)。七月二日が相当程度の時間を隔てた過去であることを「触れしその夏」という言い回しが強調している。それで「なつかしき」も新しい方の意味で取ることになるのだろう。

 ちなみに、当時葛原妙子の実父がこの岩佐病院の外科部長だったそうだ。葛原は父が白秋の手術を担当したと推測していた(「昼の鈴虫:『桐の花』小録」、『短歌現代』1981年4月)。

午前八時すずかけの木のかげはしる電車の霜もなつかしきかな


 中村憲吉『林泉集』(1916年)に「篠懸樹(プラタヌス)かげを行く女(こ)が……」という歌があるとおり、当時からスズカケは街路樹として植えられていた。また、電車といえば路面電車のこと。そこで、今西は一首の大意を「街路樹の鈴懸の木の陰を走る電車、その電車の屋根にきらめく霜も興趣がある」と読み、「新鮮な写実歌」と評する(100頁)。ここでは「なつかしき」を元々の意味で取るわけである。

なつかしき憎き女のうしろでをほのかに見せて雨のふりいづ


 上句に対する今西の解釈は「なお心惹かれながら、それでいて自分のもとを去った憎い女」で、「なつかしき」を元々の意味で取っている(118頁)。女への「アンビバレンツな気持ち」(今西、同頁)として「慕わしい」と「憎い」はしっくりくる。「過去が思い出されて慕わしい」と「憎い」ではバランスが悪い。

 すべてなつかしすべてなつかし


 「哀傷篇」で、出獄直前の「鳳仙花われ礼(いや)すればむくつけき看守もうれしや目礼したり」といった歌に付した詞書。今西は「いまとなっては一切合切が懐かしいだけである」と解する(163頁)。「なつかし」を新しい方の意味で取るわけである。なるほど、なるほど。


     §


 今西によるナツカシの意味の判別に、私は教えられるところが多かった。しかし、実は再考の余地があると思うところもある。


(続く)


(2017.6.4 記)

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