最新の頁   »   短歌一般  »  ナツカシの意味:明治末年から大正にかけて(2)
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外国の人の心の、
 なつかしさよ、
その顔のみも、快きかな。


  土岐哀果『黄昏に』(1912年)


 たわいない内容だが、「日本に住み、/日本の国の言葉もて言ふは危ふし/ わが思ふ事。」といった歌と並べてみると同情もできるだろう。「なつかしさよ」と「快きかな」は、同語の繰り返しでもよいところを別語にして、調子に変化を付けたと考えられる。したがって、この「なつかし」は「快し」に近い方の意味、つまりただ「慕わしい」という意味である。

 では、新しい意味の方を見よう。

会はましといひやることを、
負くるごとく、
 たがひにおもひしころの、なつかし。


  土岐哀果 同


 同じ歌集より。たとえば、こういう使い方である。懐旧の文脈が明確な一首で、その文脈上に「なつかし」がある。過去が思い出されて慕わしい、の意だと判断できる。会いたいと自分から手紙など出すことを、まるで負けであるかのように互いに思っていた。二人とも若く、意地っ張りだった。そんな昔が思い出される、というのである。

読まば、いまも、涙やおちむ、
ツルゲネフの黄なる表紙の、
 なつかしきかな。


  土岐哀果 同


 「いま」と昔を照らし合わせる文脈の先に「なつかしきかな」の詠嘆がある。これも懐旧の表現であり、「ツルゲネフ」の本に落涙していた過去が思い出されて慕わしい、の意であると見てよい。

いかならむ夢をみしやと逢へばまづとひし癖などいまなつかしき

  前田夕暮『収穫』(1910年)


 恋人が初々しかったころを回想した一首。今となってはそのころが慕わしい、というのである。

 このように、この時代の歌語「ナツカシ」には二つの意味がある。『黄昏に』のように、一本の歌集に二種の「ナツカシ」が同居している場合もある。

 ただ、当時はまだ、元々の意味の方が新しい意味よりも優勢だったようだ。後者は用例を拾うのにやや苦労する。


     §


 そのなかで「過去が思い出されて慕わしい」の意味の「ナツカシ」が繰り返し現れる特異な歌集がある。


(続く)


(2017.5.13 記)


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