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 乳ふさをろくでなしにもふふませて桜終はらす雨を見てゐる

    辰巳泰子『紅い花』(1989年)



 「終はらす」は国語辞典の項目に採られるような言葉ではなさそうだ。しかし、不自然な感じはしない。日常会話で使うくだけた言い方で、いくらか舌足らずな印象を与える。また、方言のようでもある。

 辰巳の『紅い花』は私小説的といえばよいか。庶民の生活と感情を表現するようなところは、著名歌人の作品では珍しい気がする(短歌って高学歴っぽい「私」ばっかり!)。掲出歌の「ろくでなし」という設定など、いかにも『紅い花』らしい。一方で、下句は季節感を取り込んで、比較的「きれいな短歌」風に仕上がっている。しかも「終はらす」がいわゆるドレスダウンのような効果を持ち、上句と下句がうまくつながる。

 このバランス感覚が『紅い花』のもう一つの特徴だろう。掲出歌の上句的な世界と下句的な世界のどちらに偏るのでもない。両者を無理やり混在させるのでもない。

 辰巳の『紅い花』より後の歌集でもこの特徴が維持されたかどうかは議論の余地がある。


(2017.4.24 記)

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コメント
182
岡松雄
こんばんは。『精神窓』の岡松雄の生年月日と出身地がわかりましたので、報告しておきます。
岡松雄  明治41年8月12日生
     高知県幡多郡奥ノ内村
     大正14年3月2日から昭和16年まで冨山房勤務。
冨山房に問い合わせたら回答を戴きました。    

183
岡松雄の生年月日、出身地、職歴が判明したのは、これまた研究の成果ですね。情報の出所が確かで、内容にまず間違いがないと断定できるところが貴重です。

冨山房が昔の社員の記録をきちんと保存していたことに驚きました。それを親族でない研究者に開示してくれたことは、研究のためには幸運でしたね。個人情報保護の考えは、作家研究にとっては憎らしいカタキのようなものですから。

185
岡松雄
こんばんは。
岡松雄の出身地がわかったことで、岡松氏に他にも著書があることがわかりました。『岡松雄 自選全歌集』『木石』『宮崎源井』です。私がいる場所は高知市なので、県立図書館にご本人から寄贈があったみたいです(ただし、図書館移転のためため来年夏まで書庫に凍結されていて閲覧出来ません)。これが、閲覧できれば、あとがきで簡単な歌歴がわかるかもしれません。『木石』は本人のものか確認していませんが、昭森社刊なので可能性は高いと思われます。最後の本は、小学校の恩師で後に義兄となった人の手紙や短歌、俳句、随筆を集めた私家版です。当地の新聞に寄稿されていた方のようです。
それと、出身地の住所地には、今も岡松姓の方が住まわれていて、連絡を取れば岡松雄氏(四男一女の三男)の没年もわかるかもしれません。
また、冨山房の創業者も、岡松氏の近隣の出身者のようなので何か縁故があるのかもしれません。
一応私は研究者ではないつもりです。ほとんどのことを調べて教えてくれたのは、当地の県立図書館の若いけれど優秀な司書さんです。私は無茶ぶりの丸投げです。













186
寄贈があったのは、『自選全歌集』と『宮崎源井』です。

187
着々と調査を進めていらっしゃいますね。たいへん貴重だと思います。

「私がいる場所は高知市なので、県立図書館にご本人から寄贈があったみたいです」は文意がやや不明確のようですが、どのような意味でしょうか。

昭森社は昭和中期に詩集や画集でよい本を出していた出版社ですね。昭森社から『木石』ですか。全然知りませんでした。『木石』、舟橋聖一の小説じゃないんですね。

188
岡松雄
こんばんは。
私が高知市に住んでいるということと、岡松氏が県出身者として著書を高知県立図書館に寄贈していたこと、そしてそのことを私が発見したこと、その3つを分けて書くべきでした。
岡松氏の出身地へ私が電話を入れ、雄氏の遺族と接することができれば、早崎夏衛氏のことももっとわかるかもしれません。加藤克巳氏に早崎氏の死を報せたのは岡松氏だったと加藤氏のエッセイにあったので、岡松氏と早崎氏は戦後も近しい関係だったのだろうと思います。
戦後版『短歌作品』連載の石川信夫「短歌浪曼の説」(2、3回)とその『短歌作品』2~4号の目次を日本現代詩歌文学館から送ってもらうことになっていて振込用紙が来るのを待っているのですが、それが来たら、『木石』も『岡松雄 自選全歌集』もその文学館にあるので再度電話して内容を確めてもらおうと思っています。

189
なるほど高知市の話はそういうことなのですね。

こうなると加藤克巳さんが亡くなったことが惜しまれます。二十年前にこうした調査をしていれば、たしかにもっといろいろとわかったのでしょう。

ひきつづき調査に期待しております。


190
岡松雄その他
こんばんは。
まず、岡松雄氏の本籍地に電話しました。結果は思わしくないものでした。本籍地の今の岡松家の当主は夫婦揃って養子に入られた方で、岡松雄一家とはもう何十年も交流がなく、連絡先もわからないということでした。岡松雄氏が東京で会社を経営していたこと、ご子息がいることは仄聞いているということでした。少し後退です。
『木石』は歌集ということでした。期待できる情報はないようでした。その代わり、『岡松雄自選全歌集』の方は、何ページか毎にエッセイが幾つか挿入されている構成のようです。中野嘉一、加藤克巳、岡松氏自身のものもいくつか含まれているということでした。実物を見てみないとわかりませんが、有益な情報が期待できるかもしれません。
早崎氏については、氏は浦和で亡くなったのではないかと思い始めています。『短歌精神』は、早崎氏が浦和に引っ越してきたことが切っ掛けで始まったと、加藤克巳の評伝で知りました。戦後も浦和にいて亡くなったのではないでしょうか。当時の新聞の死亡欄でも残っていて参照できればいいのですが。
小玉朝子に関しては、歌人としての活動期間がすこぶる短かったのではないでしょうか。国会図書館にある『橄欖』は『黄薔薇』刊行数年後からしかありませんが、準同人の小玉の作品が一切出てきません。歌を止めたか、本人が亡くなったか。そういえば、『黄薔薇』第2部、病院詠が多くて、御父君が入院していて亡くなったことも出てくるのですが、ご本人も入院しているような歌もありました。作歌活動が短くて亡くなったのだとすれば、履歴を見つけ出すのかなり困難ですね。
各地の図書館の司書さん達も頭を抱えているようですが、放棄せずに引き続き調査していただけるようです。
20年程前に加藤克巳氏の評伝を書かれた方にもアクセスしたいのですが、もう80歳前のようなのでどうなることか。

191
石川信雄著作集
余談ですが、青磁社から4月に『石川信雄著作集』が出ていますね。石川信雄氏の散文を集めたらしいです。

192
『岡松雄自選全歌集』に期待が持てますね。

小玉朝子が夭折したのであれば、当時の雑誌に追悼文などが載っているはずです。これは探せば見つかるでしょう。

『石川信雄著作集』は確かな調査に基づいた、よい本です。


193
早崎夏衛
司書さんがまた見つけてくれました。
1938年6月刊『新萬葉集 第6巻』(改造社)に、早崎夏衛の略歴が載っていました。
本名:義一。35歳(ということは、1902~1903年生れか)。大阪市生れ。潮光、心の花、短歌作品、カメレオン、日本歌人を経て、短歌精神を主宰。
この略歴には『緑の菌』も出ているようにありますが、その刊行を加藤克巳が知らなかったとは思えないので、『新萬葉集6』が出るまでに、それが出る予定だったのをそのまま印刷したか。
小玉朝子に関しては、『橄欖』でそのあたりの小玉朝子関係の記事を探してもらっています。
『石川信雄著作集』は、和爾猫さんが関わっているのでしょうか。石川信雄の姪子(?)さんが京都に住んでいて、京都の出版社から出たということですが。

194
新万葉集は当時の歌人が勢揃いですから、たしかにあれをまず見るのが基本ですね。『石川信雄著作集』のことは刊行後しばらく経ってから知りました。当然、関わりはありません。あの本が出たのはまさにご家族の執念です。とにかくしっかりと編纂された、よい本だと思います。

195
岡松雄その他
『岡松雄 自選全歌集』、奈良図書情報館から借りました。『白彩』等とともに、前川佐美雄氏からの寄贈本だということです。
結論から言うと、その本に早崎氏の情報はありませんでした。岡松氏に関しては、没年以外おおまかな略歴は得られました。冨山房入社後、小笠原文夫氏に指導を受けて短歌を始めたそうです。『短歌作品』参加後は早崎氏と行動をともにして、早崎氏が戦後短歌を止めたので、ご自身は堀口時三郎氏とともに『次元』を創刊したそうです。『精神窓』刊行は周りに反対されたそですが、ご自身の強い意向で出されたとのことです。冨山房を止めたのは、本人の意思ではなく、国策の中等学校教科書製作会社へ自動的に割り当てられ、戦後検定制度が始まってそこをやめ、自分で印刷会社秀英社(今回の『全歌集』その他歌集を多く出しているようです)を始められたそうです。秀英社に電話したのですが、通じず、宅地地図上にもその会社は今はないようです。2000年の電話帳に記載があるので、その頃までは存続していたのでしょう。
早崎氏の没年に関しても、加藤克巳氏に2つの一見矛盾する文があって(「戦後間もなく世を去り」(平成2年)と「この春亡くなった」(昭和50年))迷ったのですが、昭和44年の『埼玉新聞』に早崎氏が存命だった記事があるようで、多分昭和50年が氏の没年だと思われます。後は裏を取らなければ。
小玉朝子氏に関しては、御父君が天皇家か絹帛を下賜されているようなので、宮内庁にも問い合わせたのですが、絹帛の下賜はかなり多いらしく、『昭和天皇実録』をまず当たってくれと言われました。静岡の方、多いみたいです。
それと、『橄欖』にも問い合わせていたのですが、返事が遅かったので、電話を入れました。難航しているみたいです。連絡先が小笠原文夫氏のご子息だったので、早崎氏のことも訊いてみたのですが、ご自身が短歌を始められた頃には文夫氏は既に亡くなっていて、そんな話はしなかったそうです。糸口が見つかったと思ったらすぐ、その手掛かりが行き詰まりになる。なかなか難しいですね。

196
いつも貴重な情報をありがとうございます。小玉朝子の没年が判明すればよいと思います。期待しております。『橄欖』の返事が遅かったとのこと、これは仕方がないですよね。縁もゆかりもないわれわれ好事家の探究に付き合う義理は、まあ全然無いわけですから。

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