最新の頁   »   短歌一般  »  吉川宏志「青蟬通信」をめぐって(追記その2)
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 緑雨の言葉の意味を三日三晩考え続けてぼんやりながらようやく分かってきた気がする。われながら情けない。

 「箸」を「庶民」の意と取っていたのはおかしい。取り消す。「俗人」とか「生活者」とかならまだマシだったが、そもそも「人」と解する必要もなさそうだ。

 宍戸氏の言葉に対する私の解釈も取り消したい。


     §


 では「青蟬通信」の解が腑に落ちたかというと、そうでもない。


     §


 吉川さんが同じ話を「青蟬通信」以前にどこに書いていたのか、ウェブ検索で見付けることができた。2014年10月23日付『西日本新聞』掲載の随想「道ばたの短歌」第一回である。

 これと「青蟬通信」を読み比べて、自分なりに納得できた。吉川さんの文章を通じて店主の言葉を知るしかないのが残念だが、吉川さんはおそらく店主の言葉を幾分誤解している。

 「道ばたの短歌」によれば、店主はこんなふうに言った。

 「文学をしたいなら、定職をもつことですよ。ペンは一本、箸は二本と言いますからな」


 そして、吉川さんが「それはどういう意味ですか」と尋ねると、店主はこんな答えを返したという。

 文学だけで生活しようとすると、お金がからんでくるので、言いたいことが言えない、ということになりやすい。だから、金銭的に自立して、純粋に書きたいことを書くほうがいいのですよ。


 箸二本を使えば食えるが、ペン一本では食えない。そのペンで無理に食おうとすると、書きたくないことも書くことになる。そこで店主はペン一本の純粋さを守り抜くために定職を持つことを勧めた。この場合、ペンと箸の比較は、文筆業の収入だけでは生活できないことを強調する修辞に過ぎない。

 ところが吉川さんはこの店主の言葉を

 「筆は一本」というのは、文学だけで生活していくことを表している。それは一見よいことのようだが、書きたいことが書けなくなってしまう危険性も生じる。(略)「箸は二本」、つまり、職業と文学を両立させよ、というのである。(「青蟬通信」)


と捉えるのだから、ずれている。吉川さんは話の主旨を理解し、修辞を理解しなかった。

 そうだ。「それはどういう意味ですか」と吉川さんが尋ねたとき、吉川さんとしては「ペンは一本、箸は二本」の意味を尋ねたつもりだったのだが、店主は「文学をしたいなら、定職をもつ」べきことの詳しい理由を説明してしまったのだ。
 

(2017.4.21 記)

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