最新の頁   »   短歌一般  »  吉川宏志「青蟬通信」をめぐって
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 『塔』4月号で吉川宏志が三月書房前店主、宍戸恭一の死を悼み、生前の交流を回想する文章を書いている(「青蟬通信」)。かつて就職を前にした吉川に宍戸は「筆は一本、箸は二本と言いますな。」と言ったという。故人の人となりがかいま見えるようなエピソードだ。ただ、吉川の解釈は不思議な感じがした。

 「筆は一本」というのは、文学だけで生活していくことを表している。それは一見よいことのようだが、書きたいことが書けなくなってしまう危険性も生じる。たとえば、自分が経済的に利益を得ているところの批判は、なかなか書けない、ということが起きるわけである。(略)しかし、文学以外の収入があるのなら、恐れずに批判することができる。「箸は二本」、つまり、職業と文学を両立させよ、というのである。(同誌19頁〜)


 筆は一本也、箸は二本也。一本の筆は所詮二本の箸にかなわない。店主は斎藤緑雨の言葉を借りたのだと思うが、さて吉川の言うような意味だったか。自分はもっと単純に、箸は庶民だとかその生活だとかを表すのかと思っていた。

 そちらの意味だとしたら、店主は「一本の筆」よりむしろ「二本の箸」を危惧したのだと取れる。そして、激励の気持ちをひねった言い方で伝えたのだと想像される。「きっと日々の暮らしで手いっぱいになるでしょうな(でも、本を読んだりものを考えたりすることも忘れないでくださいよ)」というように。

 それは結局「職業と文学を両立」ということになるのかもしれないが、少し違う気もする。もちろん、その言葉の直接の受け取り手だった吉川の理解の方が正しいのだろう。それでも、ちょっと不思議な感じがする。


(2017.4.18 記)

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