最新の頁   »   葛原妙子  »  穴澤芳江『我が師、葛原妙子』について(4)
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 穴澤芳江『我が師、葛原妙子』もまた、この元将校の件に言及している。貴重なのは、その内容が葛原妙子本人の直話を元にしていることだ。結城文の報告よりも一段、信頼性が高くなった。

 葛原はあるとき、穴澤さんに直接「戦中疎開先の軽井沢の近くに海軍技術研究所があり、縁あってそこの一人の将校と知り合い」云々と語ったという。

 この将校は敗戦後、妙子の山荘を訪れたことがあり、妙子は懐かしそうに私へ、その人の座っていた椅子の後ろの柱に、椅子が付けた跡があるのよと語ってくれた。(同書93頁)


 将校が敗戦後に葛原の別荘を訪問したというのは、これまで報告されていなかったことだ。柱に「椅子が付けた跡がある」というのは具体的で真実味のある発言だと思う。

 その将校が敗戦後引き揚げるとき、別れの為、妙子は夜道を一人で将校のもとを訪れた。そのとき美しい短剣を差し出され、大きいのと小さいのとどちらが良いかと聞かれ、私は大きいのを選んだと妙子。(同書94頁)


 短剣を贈られたこと自体は葛原自身がエッセイに書いていた。しかし、いつ、どのような状況でそうなったのかを明らかにしたのは『我が師、葛原妙子』が初めてだ。

 夜、子どもたちだけで留守番をさせ、自分は一人で真っ暗闇の山道を登って元将校と会ったという。年下の青年への思慕が確かにあったと認めなければなるまい。元将校もその思いを感じ取っていたことだろう。

 そして、元将校が「しっかりとゲートルを巻き、浅間の北麓をゆき、上信の分水嶺を越え」たのは、この翌日ということになる。後日、そのことを知らせる手紙が葛原に届いたにちがいない。

さびしもよわれはもみゆる山川に眩しき金を埋めざりしや


 葛原は『孤宴』で元将校の峠越えに触れた直後にこの自作一首を引き、次のように記していた。

 頭がふつうではなくなったニーチェが或る時妹にむかい、「わたしは立派な本を書かなかっただろうか」と問うたという、それとは違い、私はいまたしかな頭でこの山家を去ろうとして「この山川に眩しい金を埋めなかっただろうか」とみずからに呟いたのである。(同書91頁)


 印象的な記述だが、峠越えの話との脈絡がよく分からない。穴澤さんは葛原に「金とは何ですか」と尋ねたという。葛原の答えは「私の恋しい人との出会いのことよ」だったそうだ。

 そのことを知った上であらためて引用箇所を読んでみると、「たしかな頭で」というところに深い意味が込もっていたことに気付く。みずからの思いがかりそめのものでなかったことをひそやかに、しかしきっぱりと誇り高く宣言したのが「たしかな頭で」の六字だったのである。


(2017.4.9 記)

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コメント
179
「短歌往来」5月号に、ちょうど結城文さんがこの『我が師、葛原妙子』の書評を書いていて、やはりこの歌をめぐる話が印象に残ったようで、取り上げていました。

180
情報ありがとうございます。短歌往来、自分が行く本屋さんに置いていないので、なかなか読まないのです。5月号、取り寄せるか何かして買ってみます。5月号の発売日がこの記事より前か後か、気になります。結城さんと内容が重なっていないかどうか、とか。

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