最新の頁   »   斎藤茂吉  »  白桃の歌について(2):「白桃=女」説は成り立つか
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 小池光『茂吉を読む : 五十代五歌集』(五柳書院、2003年)によれば、「惜しんでとって置いた桃をついに食ってしまう」という言い方には寓意が感じられるという。また『斎藤茂吉:その迷宮に遊ぶ』(砂子屋書房、1998年)における小池の発言によれば、これは女弟子の「永井ふさ子をとうとう抱いちゃったよ」の意だとの説があるという。

 松村さんが「白桃の歌を読む」でこの二つの発言を並べて引いているのが可笑しい。小池さんが実は「白桃=女」説をおおいに気に入っている、ということがよくわかる! 

 もちろん私もその説をおもしろがる一人だが、では実際に歌の解釈としてそういった読み方が成り立つかというと、それはちょっと無理なのかなと思う。

 その比喩説にとっては、初句の「ただ一つ」が邪魔になるように思うのだ。「一つだけ大事にとっておいた」という言い方には、いくつか食べた後に最後の一つだけ……という含意がないだろうか。もしその含意があるとすれば、「一人だけ大事にとっておいた女を……」とは?

 やはり無理ではなかろうか。


(2013.11.18 記)

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