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 その話を最初にエッセイに書き付けたのは、葛原妙子本人だった。葛原は戦時中、浅間山のふもとの別荘に子どもたちを連れて疎開し、戦後もしばらくそこにとどまっていた。近くに海軍技術研究所があり、若い将校たちが勤務していたという。

 ある日、彼等はやって来たアメリカ占領軍の人々に、従来みずからが配属していた研究所、他、一切の引渡しを行った。翌日、一人のもと海軍将校はしっかりとゲートルを巻き、浅間の北麓をゆき、上信の分水嶺を越え、折からあらわれた草津白根の雪のいただきをみたのであった。(『孤宴』小沢書店、1981年、90頁)


 その元将校が詠んだ歌一首も記している。それは

峠路をわが越えくればましろにぞ草津白根は雪となりたり


というのである。まるで研究所の引き渡しや元将校の峠越えの現場に葛原自身が立ち会ったかのようだ。もちろん、そんなはずはない。では、どういう経緯で葛原がそれを知ることができたのか。エッセイは、その辺りのことには何も触れない。

 私はこの山で強くなって零下数十度の寒冷や飢餓に耐え、(略)精神が自由になって貴ぶ人に稀有な美しい短剣を乞うことすら出来た。(同書、91頁)


という、これまた具体的な情報を欠いた一節が同じ文章中にあって、その「貴ぶ人」と前の元将校がどうやら同一人物らしい。一編の詩のように現実から切り離されて、現実以上に鮮やかな印象を与える話、といえばよいだろうか。


(続く)


(2017.4.2 記)

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