azzurroさんから下のような問いをいただいた。何か学生時代の期末試験のような、あるいは昔の道場破りのような……?

 質問です。塚本邦雄が『花隠論』の「蝶に針」という斎藤史論で、小玉朝子は忘れさられ、津軽照子は新短歌に去ってしまって、斎藤史が定型短歌のプリマドンナになったという記述をしていたと思うのですが、津軽照子にも『魚歌』に匹敵するような定型短歌の作があるのでしょうか。ご存じでしたら、歌集名をご教示願えないでしょうか。


 azzurroさんの方が私などよりも津軽照子の履歴と作品についてずっと詳しく知っているだろう。困った。私はほとんど何も知らないし、これまで特別な興味を持ったこともなかった。

 手元にたまたまある資料の断片を提出して、この「試験」を切り抜けることにしよう。それらの資料に価値があるのかないのか、azzurroさんの判断をいただければありがたい。


(1)『野の道』

 1924(大正13)年刊行の個人歌集。収録歌はまず文語定型とみとめられるものだ。

支那の国支那の港の公園にそこの国人遊ぶを許さず
みんなみの緑のはねの鸚哥
(いんこう)のとなりにうたふ満洲ひばり


 こちらは上海詠。「津軽照子にも『魚歌』に匹敵するような定型短歌の作が」あるかとの問いだが、素材も方法も制作時期も異なるので比較は難しい。なお、この歌集は国立国会図書館のウェブサイト上で閲覧できる。


(2)『心の花』掲載歌

 たとえば、1930(昭和5)年5月号に

佇めばひき行く波にあなうらの砂崩るるをまさしくおぼゆ
雨けぶる塩田の砂に汐をまく浜の娘の袖しとどなり


といった文語定型歌が載り、同7月号には

いそがしいクレーンの往来、釣橋もとれた、すべるばかりの軍艦高雄
咬まれた虫は動かない、蜘蛛も、私もじつと見てゐる


といった口語自由律の作が載る。この辺りが作風の移行期ということになろうか。


(2017.1.21 記)

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コメント
154
津軽てる
和爾猫様
丁寧なご回答ありがとうございました。
誤解されているようですが、私はモダニズム短歌について調べ始めたばかりで本当に何も知りません。ネットに書かれている方々は詳しい方が多いので、とくに和爾猫さんは詳しそうなので、今回は質問させて戴きました。
どうしてこのような質問をしたかというと、以前他サイトで、思潮社刊『モダニズム詩集Ⅰ』のようなものが短歌でもあればいいのにという記述を見つけました。短歌だけでは難しいかもしれないけれど、俳句も併せればできるのではと思い、ネット上に自分で叩き台を作ってみてはという提案をしようとメールしたのですが、連絡が取れませんでした。それで、私自身がそれをやってみようと今悪戦苦闘しているわけです。
今日まで小玉朝子『黄薔薇』を書き写していて 時間がなくつい、津軽照子について質問してしまいました。
津軽照子に関して、私が怪しいと睨んでいたのは、年代的にみて津軽てる名義の『秋・現実』でした。今日少し時間ができて覗いてみたのですが、定型と新短歌が混じった歌集というかんじでした。

がらす鉢あをぞらうつす面(めん)があ り金魚そこゆききらきらひかる

ゆれひらめき金魚ちひさいかたちあ り はち半面のあかしろまだら

あたたかい空ふる雨に青葉わか葉び つしりぬれて葉緑素とける

さつと眼にくずれる花ばなおひつめ て窓にあかるくがらす繪つくる

眞白なけふの地球はふくれあがりい ともしづかに廻轉する

もっと見てみないとわかりませんが、モダニズム系の単語を使ったものは自由律が多いようです。ただ、読んでいて、あまり面白くない。塚本邦雄が斎藤史、小玉朝子と並べるほどの歌集ではないような、、、

小玉朝子『黄薔薇』の巻頭の一連完全版を記しておきます。

いちまいのガラスの魚(さかな)泳ぎゐて透明體となりし海なり

幾百の川ながれ入り流れ入り魚(いを)のたまごを光らせてゐる

砂丘に濱ひるがほの花咲きて雲は海よりひくゝ沈めり

潮騒は胸に鳴りやまず砂の丘驅け下りてみれどなぐさまぬかな

鮫の眼にまたゝかれゐるわたつみの生物たちをそつと思へり

青いあの月の破片(かけら)は海に墮ち太古の魚に食べられてゐる

潮錆のくらき海より這ひ出でゝわが胸を噛むわにざめのむれ 



155
先程はすみませんでした
先程はすみませんでした。
私の愚かな質問に折角回答戴いたので(ましてや、今まで全く関心のなかった歌人についてわざわざ調べて下さったということで)とにかく早くコメントしなければと、半分寝惚けた状態で文章を綴っていました。
先のコメントでも書いたように、昨日まで小玉朝子『黄薔薇』を書き写していたのですが、これはネット上で見つけられる唯一の図書館の所蔵品で、無理を言ってこちらの図書館に送ってもらったものです。部分複写可能ということでしたが、もう分解寸前といった状態の本でそれは諦めました。図書館員監視のもとでの閲覧と借り出し期間が極端に短いのとで、生活サイクルを図書館の開館時間に会わせたうえ、出きるだけ早く書き写したいという焦り(残りの時間を誤記の確認に費やしたいので)で、緊急と眠気の日が続いています。本来の所蔵館にはデジタル化の要望を出しました。将来多くの人がネット上でアクセスできるようになればいいのですが。
津軽照子についての塚本邦雄の発言は、モダニズム短歌に詳しい人には周知の事実で簡単にわかることかと思い、軽い気持ちで質問してしまいました。お手数をかけてすみませんでした。初め『雪にのこる』も疑ったのですが、これは児山敬一の歌集とワンセットで出た歌集ということで外しました。
私について少し書いておけば、短歌は全然書かない人間です。塚本邦雄の著書が好きで直接送ってもらっていたら、会いたいということで、会ってその後夜鶯の会(玲瓏の前身)が始まる頃まで講演会や塚本さんや政田さん(書肆季節社社主、塚本さんのマネージャー)のところに出入りしていたものです。講演会で塚本さんが映画『三文オペラ』が見られなくて残念だとしきりに言っていたので、ネタを取って悪いとは思ったのですが、持っていたVHSを差し上げたり(当時アメリカで希望のフィルムをVHSに落としてくれる会社があり、それを所持していました)、パーティーで酒を飲んでいるところへ塚本さんが来て、酒がだめだと仰ったので、私もそうだったが飲んでるうちに慣れてきたと言ったら、しばらくして誰かが救急車で運ばれたということで、聞いたら、塚本さんが急性アルコール中毒で入院したということでした。もう少しある時期以降の塚本さんの著書が消えていたかと思ったら冷や汗ものです。塚本さんにはよく話しかけられました。私は葛原妙子も好きだったので、そのせいでしょうか、塚本さんが単行本の葛原妙子論を書く際に資料探しもやらされたりしました。和爾猫さんが以前塚本さんの自筆歌集について書いてらっしゃいましたが、その歌集ではないのですが、何部か書かせていることを政田さんが言っていたのを覚えています(正確な数は記憶していないのですが最低3部はあったように思います)。
私は最近まで平安時代の和歌六人党のことや江戸時代では松岡青蘿や内藤丈草のことを調べたり、中国詩における李賀や李商隠の系譜(晩唐詩;小西甚一によると新古今に影響しているそうです)やそれにも関係するのですが王次回まで続く 香奩体(こうれんとは化粧匣のことです)のことを調べたり、16世紀のマラルメと謂われたモーリス・セーヴや、ゴンゴラ、ジョン・ダン等のヨーロッパの形而上詩、それに宝石詩というジャンルについて調べていたりで、モダニズム短歌から関心が離れていました。それが最近、塚本さんの弟子の歌人と話していて再燃して、調べ始めたという次第です。
ところで、和爾猫さんが以前書いていた石原深予『前川佐美雄編集『日本歌人』目次集:戦前期分』、私も取り寄せてみました。大阪市立中央図書館からです。そこに前川佐美雄と植草甚一のことが書かれていて興味が湧きました。劇団を旗揚げしたとか。どんな劇団だったのでしょう。アングラ劇全盛の60年代に批判の的だった小山内薫が若い頃ロシアで未來派かなにかの前衛劇を観たことを最近知りました。ロシア・バレエ団のセルゲイ・ディアギレフのミール・イスクストヴァ(芸術世界)グループ時代のことを調べていたときです。80年代に西武劇場でやっていたようなものがもしかしたら、その当時の日本でも試みられていたのか、そういうものに前川と植草が関係していたのだろうか、想像が掻き立てられます。和爾猫さんか他の方がいつか、カンガルウ座について書く日を愉しみにしています。

156
貴重な内容のコメントをありがとうございます。今晩帰宅後にあらためてご返事の書き込みをいたします。この記事はとくに何かを調べて書いたものではありませんので、お気遣いご無用に願います。薄い記事内容でむしろすみません。

157
↑とは言ったものの、azzurroさんのコメントの密度の濃さに何とご返事すればよいやら、わかりません。何しろ、今月3日付の記事に書いたとおり、私はこれまでに熟読した歌集がわずか五冊しかありませんから、有名歌集をちゃんと読んでなかったり、読んでもすっかり忘れてしまったり、まことにお恥ずかしい……。azzurroさんに実際にお目にかかり、塚本邦雄についていろいろと教わりたいです。本当に、そのうちにぜひ、お願いいたします。

158
すみません
和爾猫様
和爾猫さんがどこにお住まいかわかりませんが、こちらがどこに住んでいるかもわからないのにあいましょうはないでしょう。今住んでいるところを離れる余裕は全然ありません。そんな余裕があれば、先日の『短歌作品』購入しています。それに関東であれ関西であれ中心部へ行くなら、そういう方面に行かないあいだに亡くなった他の詩人や作家のお墓参りにも行かなければならないし、顔を出すべき展覧会にも不義理を重ねてきているので、出かける余裕があればそちらを優先します。
塚本さんと私が会って居た頃は、私は京都に住んでいました。あの頃の京都は華やかでした。本屋は主に四条河原町の京都書院と二条寺町の三月書房に通っていましたが、前者は澁澤龍彦や種村季弘の講演会をやったりしていて、その打ち上げに潜り込んだり、後者は今は息子さんに代替わりしているようですが、先代のおじさんは吉本隆明と雑誌をやっていた人で、漫画家を目指して京都の大学で勉強していた吉本ばななのおねえさんがときどき訪れたり他の作家をみかけたり、私も吉本隆明に紹介するとか言われたりで、他にも作家等と知り合う機会がいっぱいありました。郊外にデイヴィッド・ボウイも一年暮らしてたようだしね。
当時塚本さんと政田さんには都市伝説のようなものがあって、会うのが少し恐かったので、三月書房のおじさんに相談したら、絶対会わない方がいいと言われたものでした。夜鶯の会以降は多くの人が塚本さんと会う機会が多くなったで、その噂はなくなったと思います。夜鶯の会というのは、堤清二直々の願いで、それまでそういう催しを断っていた塚本さんが、西武百貨店八尾支店で毎月講演をすることを受諾したものです。初めは詩人や俳人も混じっていたのですが、やがて短歌の添削会とその後塚本さんとのお茶会というスケジュールに定着していきました。夜鶯の会初回直前に私ともう1人歌人が別室へ呼び出され、塚本さんに関してこれまで通りの路線でいくか、もっと一般性の高い作家になっていくべきか質問され、もう1人も私も愚かにも後者を選んでしまいました。歌人の人が部屋を出たあと、塚本さんと政田さんと私が残り、これから作る雑誌の話になりました。短歌だけでなく、詩や俳句等も含んだ総合詩誌というかんじで、編集長も、今は大結社の主宰になっているある方を予定しているということでした。結局はその話は全部流れたようです。ところが、それまで全然別のものだと思っていたのですが、今の『玲瓏』はもしかしたら、その縮小版?とある日急に思ったら悲しくなってしまいました。目指していたのは、前川佐美雄の戦前の『日本歌人』や富沢赤黄男の『太陽系』ようなものだっただろうに。
今は塚本さんのご子息の青史さんが、塚本さんの名前の使用に神経質になっていて、それを商標化もしてしまったようです。青史さんは中国小説で活躍されていて、眼の付け所もいいし、ストーリーも面白いのですが、中国小説って陳舜臣と宮城谷昌光以外あまり売れたことがない分野にようで、大変のようです。

関心はないでしょうが、津軽照子の『秋・現実』にもう少し面白い歌を見つけました。塚本さんが言っていたのはやはり、これかなというかんじです。

ちょこれえとおもひでにしてにがみあり むかふ渚に灯が見えそめる

夜になるとおもふ あのいそこの磯の銀紙やぶりちょこれえとたべた

あをぐろい星の夜空がかあてんのこのすぐうらに忘られてゐた

はづみもち芝ふみ猫の白いあし月のひかりのどこまであるく

夜の磯なきだしさうな魂にふいと時計がきざみこむおと

淵ぞこのしづかな水のひえにゐて魚の行儀をつひにみならふ

ロボツトにやはらかすぎる乳房があり居すわるまでは眼(まなこ)をそらす

月空をななめに山の一部分まどのがらすにぴつたり黒し

159
「淵ぞこ」「ロボット」の二首がおもしろいですね。とくに後者の「やはらかすぎる」とか、なまなましくておもしろい。「居すわるまでは」がよくわからないのが惜しいです。

塚本邦雄が「目指していたのは、前川佐美雄の戦前の『日本歌人』や富沢赤黄男の『太陽系』ようなものだっただろう」とはどういうことでしょうか。私はどちらの雑誌も全号見たことがありますが、塚本がこの二誌のどんなところを目指していたのか、今一つピンと来ないです。佐美雄や赤黄男以外にも有力なメンバーが何人かいたということでしょうか。

160
日本歌人
和爾猫様
赤黄男の方は『詩歌殿』の間違いでした。
私はどちらも目次しか見ていないのでなんとも言えませんが、両方とも総合詩誌ではないのでしょうか。『日本歌人』の方には、小林秀雄や保田与重郎、阿部知二や中河與一、中原中也や堀口大学、春山行夫、そうそうたる評論家、小説家、詩人の名が連ねられているようですが。
塚本さんが目指していたのは、今となっては記憶も曖昧で塚本さんと政田さんから聞いた話がごっちゃになっているかもしれませんが、日本語における詩、短歌、俳句、詩に共通するというか通底する詩性が何なのか追求しようとしていたと私は解釈しました。抽象的過ぎるでしょうか。

今回の津軽照子の短歌は、初めの数首がちょっと稲垣足穂を思わせていいなと私は思いました。私は短歌のいい読者なのではないかもしれません。塚本さんにしても、どちらかといえばエッセイのファンだったので、『水葬物語』全歌もci.niiで公開されている菱川善夫「『水葬物語』全講義」を近くの大学で無料ダウンロードしチェックしたときざっと見て、結構いいなと思ったくらいですから。
私の好きな作家たちについて書いてくれる著者という印象で、実物はいつも鼻声のお洒落なおじさんとしか思っていませんでした。私がブラッドベリや富沢赤黄男をどれだけ好きか塚本さんの前で話したことがあったのですが、塚本さんも両者を本当に愛していたことを後から知りました。富沢赤黄男に関しては、高柳重信のエッセイで赤黄男の存在を知り、塚本さんが高柳を訪問して、全く同じ装丁の『水葬物語』と『蕗子』が誕生したんですよね。
夜鶯の会には、楠見朋彦さんや荻原裕幸さんや島内景二さんも来ていたようで、友人の歌人から覚えてない?とかよく言われたのですが、私はあのような会へ来る人を嫌っていたので全然覚えていません。
ところで、『日本歌人』全部や『短歌作品』の一部でも見られるところをご存知なのでしょうか。ご教示願えると幸いです。

161
余計なお世話ですが
余計なお世話ですが、
下記はコーベブックスの元編集者渡辺一考さんのブログの一部です。
阪神大震災後、東京へ移ってバーをやってられたようですが、今は引退されて過去ログのみが残っています。
渡辺さんのバーは、私のいた当時の京都の雰囲気にも近いような気がします。
もし気が向いたら、見てください。
http://www.despera.com/bbs1/index.php
http://www.despera.com/bbs1/2005/02/post_1182.html
http://www.despera.com/bbs1/2005/02/

162
『日本歌人』に「そうそうたる評論家、小説家、詩人」が名を連ねていたのは創刊号からほんの数号です。創刊の熱気のなかでおおいに張り切って雑誌を作っていたわけですが、社外メンバーの寄稿には創刊へのご祝儀的な意味合いもあったかと思います。その後、社外メンバーの名はちらほら見える程度になり、一般的な短歌結社誌の誌面構成に近付いて行きます。

もちろん、前川佐美雄や斎藤史、明石海人、早野二郎といった人たちの新作短歌が載り、石川信雄らの評論が載るのだから、読みごたえのある結社誌であったことは確かです。

しかし、塚本邦雄が『日本歌人』のような雑誌を目指したとは思えません。彼は先人の歌に敬意を持っていましたが、彼の歌集は先人の誰の歌集にも似ていません。その彼が自分の雑誌を昔の誰かの雑誌のようにしたがるなどとは、ちょっと思えないのです。

ただ、「日本語における詩、短歌、俳句、詩に共通するというか通底する詩性が何なのか追求しようとしていた」というのは興味深い情報です。

『日本歌人』『短歌作品』を全巻揃いで所蔵している図書館・文学館はたぶんありません。石原深予さんの指摘のとおり、立命館大学図書館の白楊荘文庫にはかなり入っています。

163
ありがとうございます
ありがとうございます。
いつか余裕ができたら立命館大学図書館の白楊荘文庫を訪れてみたいと思います。
塚本さんが作ろうとしていた雑誌に関しては、私の言い方が悪かったのかもしれません。私が後に『日本歌人』の目次を見て、和爾猫さんが指摘された『日本歌人』初期のような雑誌を作ろうとしていたのかなと私が勝手に判断しただけです。当時も塚本さんは結社を否定していたので、結社を作るつもりはなかったのではないかと勝手に信じています。塚本さんは対談は苦手だったようですが、大勢の人前で話すのは好きでしたから(後に近大で教鞭を取ることに繋がる)、それにファンを大切にする方だったので、集まってきたファンをそのまま捨てられずに、いつしか結社のようなものができてしまったのだと解釈しています。結社のように閉塞的なものではなく、もっと出入りの自由な場所を作りたかったのではと。ただ、夜鶯の会の初期の代表になる私の友人の歌人などは結社を作りたっがっていたので、他にも歌人系の人は同じような考えだったかもしれません。
塚本さんの短歌に関しては、夜鶯の会の頃、廊下で塚本さんと立ち話をしたとき、何かの文脈で「今漢詩のリズムを取り入れようとしている」と仰ったのを覚えています。短歌制作にいまだに様々な努力をされようとしているのだなと思いました。私の判断では、その前は歌謡のリズムを取り入れようとされていたので。

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