新年早々、二村定一の昭和初期の流行歌をYouTubeで聴き、その不思議な魔力にやられている。声も歌い方も、どこか奇妙なのだ。
1928(昭和3)年から翌年にかけて次々にレコードをヒットさせ、「東京行進曲」の佐藤千夜子とともに「レコード歌手第一号と呼ばれた」とのことで、「その技術面は際立っていた」とされている(ウィキペディア「二村定一」の項)。それはそうなのだろう。しかし、何かがヘンだ。
たとえば、二村独唱の「青空」(ビクター、1928年)。
(https://youtu.be/iuOLu7sII_M)
YouTubeにこの曲をアップロードした人は二村の歌声を「朗らか」と評している。私は朗らか過ぎるその歌声が恐い。
あるいは、「とこイットだね(イット節)」(ポリドール、1931年)。
(https://youtu.be/sg4B7egZQ4Y)
この歌の終わり近くに「今夜も送って頂戴よ」との一節があって、その「頂戴よ」を二村が妙な声色でコミカルに歌う。YouTubeのコメント欄を見ると「二村定一らしくて良い」などとある。しかし、それが女の声色の真似なのか、それとも別の世の何かの真似なのか、私には分からなくてちょっと気味がわるい。これに比べればエノケンの歌声など、はるかに健全だろう。
ウェブ上で「二村定一」の画像を検索すると、これまた世にも不思議な顔のモノクロ写真がズラッと並ぶ。決して不細工ではない。むしろ整った目鼻立ちだと思う。しかし、こんな顔は見たことがない。強烈だ。
昭和初期の都会の風俗について多くのことを教えてくれる毛利眞人『ニッポン エロ・グロ・ナンセンス:昭和モダン歌謡の光と影』(講談社選書メチエ、2016年)は、次のように記している。
毛利氏のレトリックの力のせいでもあろうが、なんというか、恐ろしい。私が何より奇異に感じるのは、この二村定一が「当代一の人気歌手」(毛利同書)だったという事実だ。
§
1930(昭和5)年前後の石川信雄について、木俣修「若き日の石川信雄」(『日本歌人』1937年9月)はこう証言している。この「レコード」は海外の上品な流行歌、軽音楽、はたまたさらに高級なクラシックかと想像するが、石川や木俣、前川佐美雄の耳には一方で二村定一の歌声も聞こえていたはずだ。前川佐美雄『植物祭』や石川信雄『シネマ』が同じ時代の産物だということを忘れるべきでないだろう。その字面だけを見て理解した気にならない方がよいだろう。
(2017.1.5 記)
1928(昭和3)年から翌年にかけて次々にレコードをヒットさせ、「東京行進曲」の佐藤千夜子とともに「レコード歌手第一号と呼ばれた」とのことで、「その技術面は際立っていた」とされている(ウィキペディア「二村定一」の項)。それはそうなのだろう。しかし、何かがヘンだ。
たとえば、二村独唱の「青空」(ビクター、1928年)。
(https://youtu.be/iuOLu7sII_M)
YouTubeにこの曲をアップロードした人は二村の歌声を「朗らか」と評している。私は朗らか過ぎるその歌声が恐い。
あるいは、「とこイットだね(イット節)」(ポリドール、1931年)。
(https://youtu.be/sg4B7egZQ4Y)
この歌の終わり近くに「今夜も送って頂戴よ」との一節があって、その「頂戴よ」を二村が妙な声色でコミカルに歌う。YouTubeのコメント欄を見ると「二村定一らしくて良い」などとある。しかし、それが女の声色の真似なのか、それとも別の世の何かの真似なのか、私には分からなくてちょっと気味がわるい。これに比べればエノケンの歌声など、はるかに健全だろう。
ウェブ上で「二村定一」の画像を検索すると、これまた世にも不思議な顔のモノクロ写真がズラッと並ぶ。決して不細工ではない。むしろ整った目鼻立ちだと思う。しかし、こんな顔は見たことがない。強烈だ。
昭和初期の都会の風俗について多くのことを教えてくれる毛利眞人『ニッポン エロ・グロ・ナンセンス:昭和モダン歌謡の光と影』(講談社選書メチエ、2016年)は、次のように記している。
勇ましい騎士の裏側にシャイなロマンティシズムを秘匿したシラノのように、二村にもパッと咲く華やかなキャラの裏面に、べったりとした隠花植物のような不気味さがあった。見てはいけないものをそっと覗き見るような背徳の魅力が、大衆の目を引きつけて離さなかったのである。エロ・グロ・ナンセンスをひとりで併せもった存在と言って過言でない。
毛利氏のレトリックの力のせいでもあろうが、なんというか、恐ろしい。私が何より奇異に感じるのは、この二村定一が「当代一の人気歌手」(毛利同書)だったという事実だ。
§
彼は酒のある風景を嫌つて、つねに美しい少女のゐる、いいレコードのある喫茶店を求めて行つた。
1930(昭和5)年前後の石川信雄について、木俣修「若き日の石川信雄」(『日本歌人』1937年9月)はこう証言している。この「レコード」は海外の上品な流行歌、軽音楽、はたまたさらに高級なクラシックかと想像するが、石川や木俣、前川佐美雄の耳には一方で二村定一の歌声も聞こえていたはずだ。前川佐美雄『植物祭』や石川信雄『シネマ』が同じ時代の産物だということを忘れるべきでないだろう。その字面だけを見て理解した気にならない方がよいだろう。
(2017.1.5 記)
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