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 なぜ樺太か、と著者に問う人がいるという。その人はたぶん歌人だろう。「なぜ短歌か」という問いの方がむしろ一般的な反応かもしれない、ということをその人は考えない。

 ……私は返事に困ってしまう。なぜ、樺太なのか。明解な答えが見つからない。私自身は、樺太と何か特別な関わりがあるわけではない。「実は祖父が樺太生まれで……」といった理由があれば話は簡単なのだが、そういったことは何もない。(3ページ)


 著者はこう書くが、著者個人の第一の動機は明らかだと思われる。地理的にも歴史的にも、また心理的にも隔たった「樺太」への憧れ以外に何があるだろうか。

 もちろん、樺太を理想郷のように見ているということではない。台湾よりも朝鮮半島よりも満州よりももっと近くて遠い場所として樺太を見出し、それにただ心が引かれたということだろう。

 本書を読んで、私も自分のうちにあるロマンティシズムを大いに刺激された。たとえば、本書中に敷香という地名が何度となく出てくるが、

 読み方は「しすか」または「しくか」……(18ページ)


だという。ウィキペディアで「敷香町」を引くと、

 敷香の読み方については、しすか、しきかなど様々な説がある。近年までNHKラジオ第2放送の気象通報ではしすかと呼ばれていた。内務省の告示ではしくかとされている。


 現地の人の読み方はシスカで間違いないのだろうが、それにしても町の名の読み方に諸説あるとは、まるでバンド・デシネの『闇の国々』の世界さながらで謎めいている。関心を持たずにはいられない。

 第一章「樺太を訪れた歌人たち」は近代の著名歌人の樺太詠に関する考察である。焦点の絞り方がうまい。先住民の指定居住地、国際河川、陸上の国境線、厳冬の情景、養狐場……。どれも樺太の特徴をなすもので、しかも現在の日本ではなじみのないものばかりだ。

 第三章「サハリン紀行」は「文学散歩」どころではない、著者自身による本格的な旅行記。短歌は幾分後景にしりぞいているが、読み物としてたいへんおもしろい。著者の観察力と文章力に加え、かつての領土ながら現在の情報が少ないという特殊事情があるため、興味をそそるのである。

 ところで、本書を研究書として取り扱うのであれば、本書の目的について考えておく必要があるだろう。どんな研究でも、新たな知識の獲得を目的にしている。だから問題は、どんな知識の獲得を目指しているか、である。そして、研究に向かう個人的動機と研究の目的とは、必ずしも同じではない。憧れは前者であって、後者ではない。

 著者は次のようにも述べている。

 「なぜ、樺太か」という問いに対する明確な答えはまだ見つからない。しかし、サハリンを訪れてみて一つだけ感じたことがある。それは「鎮魂」ということだ。(略)戦前の樺太に暮らし、樺太という土地に様々な夢を描いた人々の思いは、敗戦によって断ち切られてしまった。それらを何らかの形で受け止めて、鎮めることが必要なのではないかと感じたのである。(267ページ)


 「鎮魂」が近代歌人の樺太詠を考察する動機だというのは、十分説得力がある。しかし、これもまた本書の目的とは別の話だと思う。

 では、本書の目的は何だろう。


(2016.12.25 記)

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