最新の頁   »   短歌一般  »  『六花』VOL.1 を読んで(8)
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 『星の王子様』の一文をエピグラフにした菊池孝彦氏の完璧なる論考に対し、あえて不満を述べるなら、氏の華麗な論理展開にも関わらず、引用歌に圧倒されるまでには至らないということである。私は高瀬一誌の歌集を一度も読んだことがなく、菊池氏の引いた歌はどれも初見だった。そして、率直に言えば、それらの歌は皆つまらなくはないものの、とびぬけてよいとも思わなかった。この点、大松達知『柏崎驍二のおちゃめな連作。」とは正反対の感じがする。

魚一匹火だるまとなる火だるまとなす女ありたり


 食事の準備という日常の平凡な行為を非日常の虐殺に見立てたところが一首の眼目かと思う。短歌の定型と比較すれば、この一首の音数は第三句が欠落した七七七七ということになりそうだ。七七から七七に移る際に無音のマが生まれ、焼かれる魚から焼く女へ、映画のモンタージュのように視点が切り変わる。

 しかし、私はこの虐殺する女をあまり恐いと思わないのである。私の感覚では、日々の暮らしの一些事としてひっそりと魚を焼く女の方がむしろはるかに恐怖に値する。こういったことは結局、個人の感覚の違いなのだろうか。「火だるま」という言葉の調子の強さが、私には空々しく感じられる。

シャツは天に笑うかな笑うかな 笑うものなれば高く干し上げる


 白いシャツが晴天にひるがえるさまを「笑う」と見立て、その美をよろこぶ作か、と私は素直に読んだ。ところが、菊池氏はこの一首をめぐり、

 この空虚な笑いに色を失うのは読者の方であろう。


というのである。「空虚」と見なす理由について説明が一切無いのは、氏の論考における一点の瑕と思う。

 なお、「高く干し上げる」はどう解すればよいか。「干し上げる」という言い回しは「すっかり乾かす」という意味で使うことが多いが、それでは「高く」とうまくつながらない。単に物干し竿を高く上げるという意味なら「高く干す」で十分な表現であり、「高く干し上げる」はかえって不自然と思う。この歌を私が支持できない理由である。菊池氏はどう解しているのか、尋ねてみたいものだ。

 これらは高瀬の歌の問題なのだろうか。それとも菊池氏による引用歌の選び方の問題なのだろうか。まずは『高瀬一誌全歌集』を読んでみなければ。


(2016.12.18 記)

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