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 岡崎裕美子「「土屋文明記念館」へ行った」は、この夏から秋にかけて開かれた「現代女性歌人展:そのまなざしは、今」のレポート。この企画展については、私もブログに感想を書いた。だから、岡崎が展示をどう観てどう感じたのか、興味深くその文章を読んだ。ちなみに、正しくは「土屋文明記念文学館」です。

 私も感銘を受けた阿木津英の書について、岡崎は、

 釘でなぞったようにがくがくと角張り、ぶっきらぼうで、見る人をあらかじめ拒絶するような激しさがあった。女性の字はやわらかく、丸く、美しいだなんて、誰が決めた? 阿木津の書はそういってわたしを呼びとめる。


という。私は阿木津のこの書をむしろ今回の展示中で屈指の美しさだと思っていた。つまり、私はもっと「ぶっきらぼう」な字を予想していたのに、実際は見事な字だったので意外に感じたほどなのだ。印象は観る人によって違ってくるということだろう。

 阿木津は、つきつけられた「現代女性歌人展」という企画をどう思ったのだろう。なぜ女性だけが取り上げられるのか。短歌結社の構成比を見れば、短歌をやっている人間の七割ほどは女性であることが明らかなはずなのに、こうしてわざわざスポットライトを当てられてしまう存在であることへの疑問はなかったのだろうか。


 岡崎のものの考え方が色濃く出た一節なのだろう。しかし、かつては女性歌人の勢力が弱く、彼女たちは例えば、自己の存在を主張するためにみずから女人短歌会を結成しなければならなかった。そうした時代が長く続いた後に女人短歌会が解散し、気付けば「短歌をやっている人間の七割ほどは女性」という状態になっていたのである。この短歌史の流れを振り返るためにも「現代女性歌人展」という企画は有効だったと思うのだが、如何。


(2016.11.29 記)

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