最新の頁   »   短歌一般  »  『六花』VOL.1 を読んで(3)
RSSフィード iGoogleに追加 MyYahooに追加
 さて、このような魅力的な歌に出会う場を作ってくれた大松達知の文章であるが、正直に言うと、その文章自体の難解さにはちょっと困った。例えば、「たんぽぽ」の歌などについては、

 音韻だけでも十分に楽しめるけれど、意味の続き具合にも奥行きがある。


と言い、また、

 意味の必然性が担保されているからこそこういう遊びの歌が成立するのである。


とする。この「意味の必然性」という言い方の意味が私にはよく分からない。さらにそれが「担保されている」とはどういうことだろう。もし〈文脈が通るからこそ、音の響きまで楽しめる〉ということであるなら、簡単なことを随分と難しく言ったものだ。

 「なにゃどやら」の歌については、「二人の子がまだ幼いころ、沿岸北部の町に六年間住んだ。ヤマセの吹く寒い地だつた。お盆には近くの崖下の空地から盆踊りの唄が聞こえてゐた。」という詞書が付いていることを紹介した上で、

 これで作者がなぜこの「なにゃどやら」という奇怪とも言える盆踊り歌に取材したのか、必然性が明確になる。(略)単なる旅行者や研究者としての興味関心ではなく、その人でなくてはならない土着的な「必然性」が歌を補強する。


とする。「その人でなくてはならない土着的な「必然性」が歌を補強する」がやはり分かりにくい。もしかして〈ある歌の作者が旅行者であるよりもその土地の住人であった方が、その歌をよりよい歌と思える〉といったことが言いたいのだろうか。それとも、もっと高度な歌論がそこにあるのか。

 「たんぽぽ」の歌などについて、

 ぴたり三十一音で春の明るさを軽々と歌う……


と言い、「すねのかは」の歌などについて、

 結句六音で陰りと恐怖感を感じさせる……


と言う。どういうことなのか、一生懸命考えてみたが、私の頭は

  

のままだ。ああむずかし。


(2016.11.28 記)

関連記事
NEXT Entry
『六花』VOL.1 を読んで(4)
NEW Topics
短歌結社は#MeTooの告発にどう対処したか(3)
短歌結社は#MeTooの告発にどう対処したか(2)
短歌結社は#MeTooの告発にどう対処したか(1)
歳の初めに
真中朋久「安寧禁止」を読み、福田米三郎『掌と知識』のあれこれについて少考する
酒井佑子歌集『空よ』刊行
『チメイタンカ』を楽しむ(3)
『チメイタンカ』を楽しむ(2)
『チメイタンカ』を楽しむ(1)
あふれば? 『ラツパと娘』の歌詞の不思議
コメント
Trackback
コメントを書く
 管理者にだけ表示を許可する
ブログ内検索
和爾猫より

和爾猫

Author:和爾猫
-
主に近現代の短歌について調べています。
同じ趣味の方がいらしたらうれしいです。

情報のご教示などいただけたら、
さらにうれしいです!

検索フォーム
最新トラックバック
QRコード
QR

CALENDaR 123456789101112131415161718192021222324252627282930